日本図書館研究会第335回研究例会「雑誌の図書館 大宅壮一文庫の成り立ちとこれから」に行ってきた。

 こういうのに行ってきた。

2018年1月27日(土)日本図書館研究会第335回研究例会
発表者:鴨志田浩氏(公益財団法人大宅壮一文庫事務局)
テーマ:雑誌の図書館 大宅壮一文庫の成り立ちとこれから
http://nal-lib.jp/events/reikai/2017/335invit.html

 大宅壮一文庫*1は2015年に一度訪れて圧倒されてきた場所*2だが、改めて中の人の話が聴けるとなればそれはそれで興味深い。参加者は20名程度、老若男女。
 という訳で、以下はxiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。

  • 大宅壮一について
    • 大宅壮一は1900-1970。大阪高槻市の生まれ。
    • 造語の名人。「一億総白痴化」「恐妻」等の言葉を残した。大阪人の活躍ぶりを華僑になぞらえた「阪僑」という言葉も。
    • 写真もやっていた。ライカで、メモを「撮る」ということを始めた。ハーフサイズカメラを手にした写真が残っている。フィルムカメラが36コマまで撮れる、その中に仕切りを入れることで倍の72コマまで撮れるようにしたものがハーフサイズカメラ。これを2台持ち歩き、144コマまで撮れると自慢していた。
    • 大宅壮一ノンフィクション賞を創設、若手の登竜門となった。またフリーの作家や評論家のクラブを作る等、マスコミ人脈を多く育てた。そのひとつの成果が大宅壮一文庫
    • ただ、大宅壮一の著作は現在入手可能なものが少ない。参考になりそうな図書としては下記3点。

週刊誌風雲録 (ちくま文庫)

週刊誌風雲録 (ちくま文庫)

    • 高等小学校の頃の写真。富田の醤油屋の子どもで、学業と家業を両立。
    • 茨城中学校生徒日誌の写真。大正4〜7年頃。本人は「自分は日記をつけたことがない」と言っていたが。
    • 大阪府立茨木高等学校の所蔵する写真。御大典記念でプールを作る作業の写真。生徒自身が掘っていた。後ろで水車のような器具を踏んでいるのが大宅壮一。これは数年前の毎日新聞で取り上げられた。
    • 文藝春秋の記事「阪僑罷り通る」。
    • 生誕の地には顕彰碑*3があるという。
  • 大宅壮一文庫について
    • 大宅は取材や執筆のため全国を飛び回っていたが、行く先々で古本屋を回っていた。チッキ*4で大きな箱がいくつも届くが、子どもたちがお土産かと喜んで開けてみると本ばかりでがっかりしたというエピソードがある。
    • 収集目的は著書『実録・天皇*5』や『炎は流れる*6』等の本を作るため。明治大正の本を大量に集めた。
    • 亡くなった時の蔵書は20万冊。うち17万冊が雑誌であったことから、雑誌専門図書館として大宅壮一文庫がスタート。
    • 溜める一方で、整理・分類にも力を入れていた。整理のための助手を自費で雇っている。
    • 昭和30年頃の書庫の写真。母屋の横にブロック建ての書庫。これは現在も残っている。
    • 1970年11月に大宅壮一が没し、翌年5月に文庫が開館。ずいぶん早い。スタッフや書庫等、生前から公開可能な状態だった。
    • 現在の所蔵雑誌数は約1万タイトル、約78万冊。一番古いのは明治8年のもの。
  • 雑誌コレクション*7
    • 日本初の雑誌は『西洋雑誌』。タイトルに雑誌という語が使われた初めてのもの。慶応3年の相関。
    • 明治から平成まで、雑誌は150年の歴史がある。これを通読していくと、研究者とは異なる視点が得られる。
    • 大宅壮一文庫開館当初は、一日の閲覧が2〜3人という感じで細々とやっていた。
    • 書庫は8ブロック。スタッフが場所を覚えるのに1ヶ月ほどかかる。
    • 雑誌は合冊製本しないで、背表紙も出た状態で保存している。
    • 昔の『婦人公論』は、実は発行者にも所蔵がなかったりした。
    • 書庫の写真。電動式書架もある。
    • 立花隆が「田中角栄研究」を書くために利用したことで、大宅文庫の名前が売れた。
    • 利用者の9割はマスコミの人。
    • ネットの普及により利用が減り、財政的に苦しくなった。
    • 3・11の時も無事。むしろガタついていた扉が揺れで直ったりした(笑)。
  • クラウドファンディングについて
    • 背景
      • 大宅文庫は親組織や、運営のための基金等が無い。利用料だけが収入源。では利用が増えればいいか、というと、それはそれでコストも増えたりする。
      • 公益財団法人なので税制上の優遇等がある一方、制度上色々と厳しい点もある。寄付を集めなければならない。
      • 寄付の仕組みは従来もあるにはあった。賛助会員という制度。しかしだんだんと脱退や減額が増えてきた。
      • 突破口として考えたのが、松竹大谷図書館*8クラウドファンディングReadyforを利用した成功例。
      • Readyforの人に話を聴いたりして、2016年の5-6月にクラウドファンディングを開始*9。これはAll or Nothingの仕組みで、目標額を達成できなければ何ももらえない。
    • 始めた理由
      • 運営資金が苦しいという理由の他に、もう一つ理由があった。
      • これまでの文庫利用者はマスコミが9割。しかしマスコミでも下請け会社が制作を行うケースが多くなり、わざわざ足を運べないことなどから利用が減っていた。従来の利用者を広げることができない。一方これまでの利用者と異なる層に訴えようにも、方法が無かった。
      • 文庫は50年近く活動をしてきた。自分は30年働いてきたが、最近「大宅文庫」「大宅壮一」と言っても知らない人が多くなってきた。名前だけで活動が分かってもらえない現状。「こういう所である」と呼びかけをしたい。
      • 利用不振の原因の一つにネットの普及がある。
      • 財政難は数年前からニュースになっていたが、ネットでの反響は「既に使命を終えたからだ」「デジタル化していないので使えない」といった冷ややかなものだった。
      • そういう場所に出していって受け入れられるのか。金額達成までは非常に不安だった。
    • 達成までの経緯
      • 2017年5月18日(木)に募集を開始した。開始にあたってマスコミに色々声もかけたが、昼間取材に来たのは新聞社3社のみ。
      • 初日は20時くらいまで職場で反応を見て、寄付金額が20万円程度になったところで帰った。Readyforの人からはスタートダッシュが重要と聞いていたが、これでいいのか?どうなのか?という感じ。
      • 帰ってみたら上司から留守番電話が入っている。その晩に突然300万円くらいに跳ね上がった。
      • 一番の理由は、昼間取材に来てくれた朝日新聞のデジタル版の記事が夕方に掲載されたこと、あわせて著名人がSNSで拡散してくれたこと。野木亜紀子さんや津田大介さんなど、一般的に知名度の高い方*10
      • 19日にNHKから電話があり、夕方のニュースのために取材の申し込み。
      • 結局、その週末までに500万を達成してしまった。土日は仕事が休みなので、金額達成のお礼の原稿を土曜に家で書いていた。
      • Readyforでは、寄付者はコメントを書くことができる。コメントは一日以内に返信するのが基本。週末は自宅からずっとコメントの返信をしていたが、追い付かなかった。
      • 自分の感覚としては、クラウドファンディング達成のための努力というより、一番頑張ったのはコメント返信や取材対応。達成後クラウドファンディングについて講演依頼されるケースが増えたが、本当に苦労した部分を話せてているのかどうか自分でも心もとない。
    • その他の反響
      • NHK以外にも各メディアで取り上げられた。文藝春秋朝日新聞天声人語。テレビ番組「探検バクモン」ではデヴィ夫人が来た。なおこの人は生前の大宅壮一に会ったことがある人。
      • テレビの影響というのは、自分の届かないような範囲に及ぶものだと思っていた。しかしテレビに取り上げられたことで、地元の地区広報誌に初めて取り上げられた。
      • また別の反響。500万円の目標額に対し800万円を超えたということで、Readyforの年間表彰*11の候補になるというおまけがついてきた。
      • 実資料しかない図書館がネットに訴えて助けてもらったという話が、聴く人の琴線に触れたよう。
      • 表彰の他の候補は、1千万円くらいの案件。大宅文庫では、支援人数が760人と少ない。一人1万円くらい寄付していただいた勘定。
      • Readyforは小口の支援をまとめて得るのに効果的な手段。わずかしか寄付できないと遠慮してやめてしまう。しかし、この人数でこの金額というのは特殊な例。
      • 寄付者の内訳をみると、ほとんどは過去に利用していた人。
    • 今後
      • 金額はかなり集まったので、今年と来年くらいの運営は一息つける。
      • しかし、広報という観点からはどうか。2017年12月の来館者数を見ると、前の年より800人減少してしまった。実際の利用につながっていない。
      • もともと目標金額を設定する際、プロジェクトをはっきり立てたわけではなかった。現状の厳しさから見て「運営を助けてください」ということを目標とした。
      • 今後第2回を行うとしたら、どんなテーマでいくら設定すべきか。どれだけ、どういう努力が必要か。
  • 大宅壮一文庫雑誌記事索引の紹介
    • 文庫はOPACをまだ導入していない。手書きの所蔵台帳しかない。ノートに縦線を引いて区切り、日付を書きこむもの。
    • 大宅壮一の設計思想として「資料室全体でひとつの百科事典のようにする」というのがある。何を持っているか、ではなく、何が書かれているかの記録の方に重点。
    • 雑誌記事索引にも大宅の考え方が反映されている。当初スタッフが、重要なテーマだけ採ることにしようと提案したら「重要かそうでないか、誰が決めるのか」と大宅に叱られたエピソードが残っている。
    • たとえば「ドナルド・トランプ」で検索すると、1980年の記事で、当時不動産王だったトランプ氏が大統領になることをもくろんでいるという記事がヒットする。まさかこれが事実になるとはだれも思わなかっただろう。
      • あるいは、1974年のモナリザ来日の記事。モナリザの美術論的なことは書かれていない。そうではなく、モナリザが展示されることに日本でどんな反響があったか知ることができる。
    • 基本的には見出しまたはキーワードから検索。見出しは、記事に直接あたって採録する。
      • 採録の方法についても、目次をOCRにかければ省力化できるのに、といった声があった。しかし雑誌の目次タイトルというのは煽りが多い。ある程度採録者が目を通し、判断したうえで、必要ならコメントを備考に居れる。
    • 人物情報とそれ以外の情報で検索可能。学術雑誌はほとんどない。
    • 索引数ランキング。採録開始以降のランキングでいうと、トップ3位は松田聖子小沢一郎長嶋茂雄
    • 件名索引項目
      • 大宅式分類法を採用。図書館の分類とは違う、色々なキーワードで分類している。この判断も難しい。
      • たとえば「自動運転」というキーワード。自動運転の法律的観点か、それとも経済的観点か、技術的観点か、福祉的観点か。または、いいことと捉えているか、悪いことと捉えているか。
      • 分類と定義がはっきりしないものはキーワード化が難しい。一例はセレブ、コラボ、アベノミクス等。
  • 最後に宣伝
    • 毎月第2土曜日には書庫ツアーを開催している(())。団体の場合は別途相談。
    • 9月には、ノンフィクションを取り上げたイベント*12も実施した。
    • 索引の冊子体もオンデマンド出版している*13
    • (この後、実際のWeb-OYAをデモ操作)
  • 質疑
    • フロア
      • デモの記事検索の様子を見ていると、キーワードがとても重要なもののようだ。どういう基準でつけているか。
    • 鴨志田氏
      • 検索キーワードは百科事典の見出しにあたるものと考えている。
      • 言葉の定義が固まっていく過程で、言葉自体が変わってしまうことがあるのが困る点。たとえばトトカルチョという言葉。現在は合法だが、昔は非合法の賭博を指していた。
    • フロア
      • 利用者が増えないという話。世の中にプロのジャーナリストは減っていないだろうと思う。図書館の雑誌記事索引OPACで引きやすくなった影響もあるかもしれないが、それには大衆誌は入っていない。これらの背景を踏まえて考えるに、なぜ大宅文庫の利用者が減るのか。
    • 鴨志田氏
      • メディア自体が変化しているように思う。聞いた話だが、出版でなくネットメディアへ人が行く。ネットメディアは少人数でシンプルに作っており、その分かけられる労力が減っていて、調査まで手が回らないのかもしれない。
    • フロア
    • 鴨志田氏
      • 公益法人のため、基本は単年度会計。収支は基本的にプラスマイナスゼロを求められる。貯金不可。具体的なプロジェクトがないと持ち越しができない。
      • 長い目で見ると、松竹大谷図書館のやり方が参考になるかもしれない。プロジェクトを細かく分割して何年かごとに寄付を募っている。
      • 大宅文庫では、過去には最大で60名の職員がいた。いまは30名。人数が減っているため、人手をかけないサービスに注力する必要がある。オンデマンドやWeb-OYAで利用が安定することを願っている。
      • 内部的には、これまで経営が苦しいと人件費圧縮を求められがちで、士気低下につながっていた。今回のことが成功体験として、きっかけになる。
    • フロア
      • 過去の冊子体等に掲載されていたデータは、Web-OYAに全部入っているのか。
    • 鴨志田氏
      • あえて入れていないデータもある。かつては人物について、書籍のデータも記載していた。現在は書籍が埼玉の離れた書庫に保管されていて、すぐ閲覧できないため。他にも掲載されていない部分がある。
    • フロア
      • 書庫がかなり満杯に近い状態ということだが、建物は大丈夫か。
    • 鴨志田氏
      • 消防の方には相談している。可燃物貯蔵設備に当たるので、火が出ないよう注意するように言われている。
      • 耐震に関しては、実は増築を繰り返しているために耐震審査ができない。建物をつなぐと正しく計算ができないため。工事をしようにも、利用料のみが収入であるので、工事のために休館すると収入が途絶えることになり難しい。
    • フロア
      • 公益法人であることで色々縛りがあるようだが、一般法人にしないのか。公益法人であり続ける理由はあるのか。
    • 鴨志田氏
      • 公益法人だと税金面での優遇があるとされているが、そもそも赤字なので課税対象でない。
      • ただ公益法人を一般法人にする際は、それまで税金で優遇されていた分に相当する資産を国に還付しないといけない。文庫の場合、資産はすなわち所蔵資料。返すわけにいかないため、転換は難しい。
    • フロア
      • マスコミ以外で活用している人はいるか。
    • 鴨志田氏
      • 広い意味ではマスコミだが、広告業の人が過去の広告を調べに来たりする。また卒論等、学生の利用。
    • フロア
      • 個人情報のため、索引の対象から除外してほしいという要請を受けたりはしないか。
    • 鴨志田氏
      • 索引に採録するのは、ある程度公人と認識されている人だけ。過去に除外したケースでは、ある事件の犯人と報じられた人からの要請に対応したことがある。
  • 感想
    • クラウドファンディングについて、寄付を募ること自体より、取材やコメントへの対応の方が労力のメインだったというお話が印象的だった。発表者ご自身は戸惑った感じで話しておられたが、聴いていると非常に腑に落ちた。寄付といっても無償でお金が貰える訳ではなく、コミュニケーションという対価を払わなければならないのだなぁ。
    • また、テレビに取り上げられたために地元に知られることになったという話も印象深い。マスメディアに露出したことによって、地域の図書館なら地元住民、大学の図書館なら学生や教員に、改めて知られることになったという話は、実際他でも聞いたことがある。物理的な距離が近くても、住民なり学生の目にする場所(たとえばテレビ番組)に無ければ、心理的な距離は縮まらない。
    • 来館利用が収入となっている以上、来館増がなければ継続的な運営安定に繋がらないというのは難しい状況だ。今回の寄付でお金を払った人達は、必ずしも利用者または潜在的利用者という訳ではなく、「自分は今使わなくても社会には大宅文庫があるべきだ」と考えたのではないかと思う。その支持を資産に変える方法が、寄付以外に何かあればいいのだろうか。
    • ところで、近くでWeb-OYAを使える場所を調べてみると「Web OYA-bunkoご利用機関一覧」なるものが公表されていた。興味の湧いた人は是非お近くの導入図書館へ行って検索してみるといいよ。

2018年の始まりに。

 生きてます。…ということを書くためだけに更新。振り返ればなんと1年ぶり。

 2017年は、2月以降一度もブログを書かなかった。書けないので書かないのか、書かないと書けなくなるのか分からないが、書きたくならない。イベントの類に行くことが少なかったし、たまさか行って「面白いな〜」と思っても、帰り道なんだかすぐ熱が引いてしまう。本を読んでも自分の中に積もっていかない。
 スランプと呼べるほど御大層な身ではないが、要はバテていたという感じ。

 原因はよく分からない。たぶん、色々な原因が少しずつ重なっている。信頼していた幾人かのひとが業界を去ったことや、知り合いで亡くなったり病んだり怪我をした話をいくつか聴いたこともその一つだろう。
 また仕事も、実際の忙しさはさほど変わらないのだが、新たなステージ*1にあって求められる能力と、自分の能力とのギャップがいよいよ持ち重りしてきた。
 考えてみるとこれまで自分は5W1Hのうち、Hばかり考えてきたのだと思う。それがステージ2になると他のW、とりわけWhyを考えなければならない。というより、これまでだって考えなければいけなかったのに、考えていなかったツケが出ているということだろう。
 Whyの壁にぶつかって閉塞しているものだから、みききしても入ってこない、おもうことに繋がらない。そんな冴えない1年だった。ただ一点良かったのは、2017年はプライベートの友達や同僚と交際する時間が多かったこと。周りの人には恵まれているなぁ、ありがたいなぁ、と思う機会が多かった。

  • 懺悔

 という訳で、新春恒例のネタ供養。

    • 2月:福岡市総合図書館へ行ってきた。
      • 閲覧室入口が凄く立派で驚いた。BDSの側にはステンドグラス入りの窓、石造りの中庭に面した丈高い窓にはドレープのカーテン、金色の手すりに白大理石風の階段…と、ホテルのロビーみたいだった。ウェディングドレスの花嫁が裾引きずって降りてくるんじゃないかと思った。中身も色々工夫されていて、楽しかったのだけど、サボってるうちに記憶がおぼろになってしまった。ごめんなさい。
    • 4月:法蔵館板木蔵見学へ行ってきた*2
      • 京都の老舗仏教書出版社・法蔵館にある板木蔵。3-4月に公開見学をされていたので行ってきた。蔵の中は2階構造で、1階のぐるりにぎっしり板木が積まれている。かなり狭い、暗い、かつカビ臭い。けれどもやはり江戸時代以前からの板木の現物がこんなにあると思うと迫力があるし、それが保管されているのが現役の出版社であるという点がまた京都という土地の凄味のようでもある。写真撮っていいですか?と主催の方*3にお尋ねしたところ「どうぞどうぞ〜!ついでにSNSとかで発信してください!」と言ってもらったのに、ぐだぐだしてて書けなかった。ごめんなさい。
    • 9月:アーカイブサミット2017 in 京都*4に行ってきた。
      • 2日とも参加。知恵熱が出そうなくらい、面白かった!…が、とにかく中身が分厚くて、そんな大作レポート書ける気がしなかったし、まあそのうち公式がちゃんとした記録出してくれるだろうし*5…と日和った。ごめんなさい。
    • 10月:アートアーカイヴ・シンポジウム「企業アーカイヴの現在」に行ってきた。
      • 主催者ページがもう無くなってしまっているようなので、転載先の別のページから内容紹介。

【2017.10.14大阪】アートアーカイヴ・シンポジウム「企業アーカイヴの現在」

      • 9月のアーカイブサミットでは公的機関や学術機関のアーカイブの話がメインだったが、企業が主体のアーカイブということで多少視点が異なり、凄く面白かった。
      • 一番異なると感じたのは2点。1点目は、アーカイブ自体の歴史のスケールが違う点。何しろ講師のお一人高島屋の創業は天保2年。200年近くの間ずっと高島屋だったわけで、現在の国立・公立や大学のMLAのほとんどより年長だ。2点目は、必ずしも一般への公開を意図せず、むしろ組織内での活用を第一に意識している点。担い手が公でないだけに、かえってアーカイブというものが本質的にはらむ「公」性みたいなものについて考えさせられた。…が、このイベントから帰った後に酷い風邪を引き、レポート作成がうやむやになった。ごめんなさい。
  • 2018年に向けて

 残念ながら、冴えない状況を打開する銀の弾丸はまだ見つからない。昨年の振り返りでは

そういうものは付け焼刃できるものではないので、インプットとアウトプットを繰り返す中で筋トレみたいに少しずつ蓄積するしかない。

 と書いていたが、筋トレどころかリハビリが今年の目標となりそうである。アウトプットしなければインプットもできないというのは事実。
 みききすること、おもうことを再度獲得すべく、読んだり書いたり喋ったりしながら、Whyに向き合っていくしかないのだろう。今年もよろしくお願いします。

*1:記事2017年最初のより「いつの間にかゲームのステージはひとつ上がっている。」

*2:法蔵館ブログ 編集室の机から

*3:ちなみに案内者がすごく感じの良い女性だなぁと思っていたら、後で社のかなり偉い人だと分かりビビった。

*4:アーカイブサミット2017 in 京都

*5:E1973 - アーカイブサミット2017 in 京都<報告>

明星大学日本文化学科国際シンポジウム「世界の写本、日本の写本」を聴いた。〜後篇

 前回の続き。引き続き、xiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。敬称は「氏」に統一。
 休憩を挟み、後半。ディスカッサント(討論者)からのコメントと質問。

  • 入口敦志氏(国文学研究資料館 准教授)
    • 今日の話は、デジタル化・所在情報の話を含む野口氏、中国の写本学の高橋氏、西洋における写本の松田氏。
      • それぞれの接点がほとんどない。それほど本の問題は広範であり、写本だけでは話が進まない。特に松田氏、高橋氏の話に出てきたように、写本と刊本の関係を考えていく必要がある。
      • 刊本が出てきたから刊本の時代になった、という訳ではない。刊本を作るためには草稿、版下など、写本が必ず複数作られる。それが残っているかどうかという点。デジタル化の話と、写本・刊本の問題を地続きで考えるために整理する必要がある。
    • この場にいる人は古典の研究をしている人が多いだろう。古典とはどういうものか?
      • 基本的には選択されたもの。どれを古典にするかという選択が、時代のどこかで行われてきた。
      • 選択されたものがさらに標準化される。源氏物語など、たくさんあった写本を校訂してできている*1
      • 多くの本が存在していたものを、抽象化し、標準化したテキストができあがる、それを古典として研究している。その古典が、印刷された本として流通し、読み継がれることで普及していく。
      • デジタル化の時代に我々は何をするか。古典+籍、すなわち古典籍を考えている。標準化されたものを、多くの刊本・写本の世界に戻していこうとしている。源氏物語なら源氏物語の写本・板本がこんなにたくさんある、ということを見て比較できる。
      • 捨象・抽象化されたものが、カラーデジタル画像の世界に戻ることによって、具体像をもう一度読みこなさないといけない。これが古典籍。【ここで中継中断あり】
    • 根本的な違いがあるような気がするが、それを聞きたい。東アジアにおける古典をめぐる本の、普遍的な問題。それを中国や西洋の方ではどう位置付けているのか。これからデジタル化が進む中でどのようにしていくのか。
  • 松田隆美氏(慶應義塾大学文学部 教授)
    • 同じような状況はヨーロッパの古典研究でも存在している。
    • 昨年『テクストとは何か*2』という論文集を書いた。
      • いわゆる西洋文学の中で古典とされている作品の、我々が読んでいるテキストは、かなり色々な取捨選択のもとにできあがったもの。それを知ってもらいたいという趣旨で書いた。
      • ヨーロッパの文献学において、作者の真筆に近いものを探す研究は常にされていた。
      • たとえば14世紀のチョーサーでは、すべての写本のデジタル化がなされて比較しやすくなった。
      • となると、そういうデータをもとにして校訂版を作らなければならない。多くの写本のどれか一つを選ぶのか、それとも詳しい注を付けてすべてのヴァリアントを示すのか。
      • どういう形が一番見やすいか。デジタルエディションで試行錯誤がなされている。
    • コンセプチュアルな問題でもあり、実践上の問題でもある。
  • 高橋智氏(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 教授)
    • ご指摘の点は、中国では大変な問題。
    • 中国では根本的に、本と書とを区別する。本はテキストであり、書は完成されたもの。
    • 書物の世界においては、中国の文化では完成されたものを求める。原稿のように何度も書き直したものではなく、完全に綺麗なものにした「書」を尊ぶ。古来からの傾向。
    • 校勘学、中国ではコウシュウ学*3。シュウは「うらむ」という字。なぜうらむか?二人の人が本を読む、お互い違うところを指摘しあうのが、恨みあっているように見えるから。
    • つまりそのぐらい、書物には色んなテキストがある、色んな写本がある。それはひとつの完成されたテキストを作るためにある、という考え方。
    • 校勘学=校訂学はあるけれども、最近はコセキセイリ学*4という。校訂して一番いいテキストを作る。
    • 個別に存在している色々なもののデジタル化は、中国的な考え方からは、校勘の最終的な材料を提供するための方法。
    • 【ここで中継中断あり】
  • ジェフリー・ノット氏(スタンフォード大学大学院 博士課程)
    • 本日のシンポジウムは世界・日本の写本を取り上げ、世界写本学という中で問い直すことが目標。
    • 写本学自体はいくら盛んでも、たとえば装丁なども含めた、本当の意味の世界写本学が成立しているとは言い難い。
    • 自分の専門は書誌学というより文献学。この分野でも似たような動きは最近活発であり、ある程度成果も出ている。
      • たとえばコロンビア大学のシェルデンポロック先生は、地域研究の専門家を集めて世界文献学という論文集を出版した。2016年には続編も出た。
      • こうした試みは前々からあった。台北の中央研究院で2008年にワークショップ実施。ドイツのマックス・プランク研究員。メンバーは勢力的だが、まだ多くはない。
    • 写本研究においても、こういう運動が無いわけではない。
      • ドイツのハンブルク大学には写本文化研究センターがあり、叢書を出している。
      • ただ叢書ではあるが、ほとんどの巻ではそれぞれの人が書いている内容は自分の専門領域に徹している。細かく分かれているので仕方ないが。
    • 文献学には色々な方法、対象がある。書体であったり、テキストが最終目的であったり。それら各媒体の専門分野において、共通の目的が見出しがたい。
    • 専門分野は数多く存在。たとえばパピルス学、コデックスなど、媒体ごとに写本研究が分かれている。そのパピルス学でも、それがエジプトなのか、ヨーロッパなのかで違う。
    • 【ここで中継中断あり】
    • 西洋の古代のパピルスによる巻子本もすぐ消えたわけではないが、西洋と日本の写本では冊子本の持つ性格も違う。
    • 印刷技術が導入されても、江戸時代は写本のきらめきが消えなかった。西洋においては共存時間を経て、写本が現代までは続いていない。
    • 世界写本学の成立が不可能だとは思わないが、まだ成し遂げられていない。成り立たせるために何が必要なのか?
      • 中国の写本と、西洋の獣皮紙によるコデックス。
      • 様々な世界写本学。もちろん東アジアと西洋の一部の国に限るものではない。死海文書、貝葉(ばいよう*5)などもある。
    • それぞれ自分の学問の観点から、本当の意味で世界写本学を作っていくには何が必要だと思うか。
  • 松田氏
    • 消極的な答えと、積極的な答えがある。
      • 消極的な方としては、場の提供。フォーラムを提供する。普段は出会わない日本の写本研究者と、中国の研究者が、分からないなりに同じ研究発表を聞いたり読んだりする。
      • Manuscript Cultureにはそれぞれ個性がある。その個性があるということを具体的に知る機会になる。
      • 一緒に協働研究等とは難しい。ご指摘のとおり、一冊の論文集を出してもそれぞれ自分の専門分野のことを書いているといったことになるが、それも交流のためには大事。
    • 積極的な可能性。
      • 今日の発表でも、中国や日本の事情の中で、印刷があったからこそ写本のきらめきが生まれたという話があった。西洋の研究者にはなかなか出来ない発想。
      • そのつもりで見直してみよう。西洋で17-18世紀にも詩集を手書きで作って回覧していたケースがあるが、これは印刷本と違う手書きのきらめきと言える。
      • 漠然と情報として持っていたものに対して、考えていく枠組みをもらうことができる。
  • 高橋氏
    • 中国の文献学と、日本あるいは西洋のそれが同じ土俵になっていくのは難しいと思うが…。
    • 中国の写本研究というのは最近見直されるようになってきた。
      • 昨年、中国でもこのような写本をテーマにした国際シンポジウムが行われた。自分は行けなかったが。そういうシンポジウムが行われる目的はというと、中国の人が、日本の状況や世界の状況を知りたいから。
      • 日本の江戸の写本が中心だとしても、それを世界の写本として中国と一緒に研究していこうという時に、まず日本の状況というものを向こうにきっちり紹介できるようにならなければならない。
    • 個人的考えだが、そういう中で一番大切なのは形態書誌学。
      • 形態がきっちり紹介できるようにやっていくと、ひとつの共通点ができる。
      • たとえば漢字文献とかな文献でひとつの価値観を共有していくのは大変だが、これが形態の話になると話がしやすい。
      • たとえば版本なら、江戸時代前期と後期ではどう違いがあるかという話。そういう形態的なことを写本についても分類して、誰でも分かるような形にしていくことが、共通点を見出すことにつながるのでは。
    • 写本の文化はこれから大きなテーマになっていくであろう。間違いない。
  • ノット氏
    • 『世界の文献学』を読むと、各分野において手続き共有化したものについては、文献学の方法が割と通じているものがある。
    • 吟味するレベルまでいかないが、あれば、間違いを犯しても指摘できる。
    • 巻子本であればこのように読者が体験していただろう、冊子本になると読者はこのように感じていただろうという方法論がないまま進むと、空想になってしまう。
    • 外的な要素があって、空想を制限するものがある。
  • 野口契子氏(米国プリンストン大学 司書)
    • 世界の写本学は難しい。
    • 答えが飛躍するかもしれないが、少し前に、エリアスタディーズ/グローバルスタディーズの違いということが話題になった。細かい地域の違いの研究から、グローバルへ移行していった。
    • 自分としては抵抗があった。広く浅く勉強しても仕方ないのでは?と。
    • しかししばらく経ってみると、学生の中でも、広く浅くではあるが、色々な情報を取り入れて新しい角度から研究始めた人もいる。プラスがある。
    • お互いの研究分野の紹介。中国なら中国の文化、中国の書誌学、中国の写本におさまらず、ヨーロッパや日本のことも勉強してみる。それも一つの手では。
  • 司会:勝又基氏(明星大学 教授)
    • バークレーの旧三井文庫を調査している。写本だけでなく、倍くらいの量の刊本もある。
    • それがなぜ写本だけになっているかというと、バークレーが買ったときにまず写本と刊本分けたと聞いた。面白い。そこには考え方の背景があるのか?
  • 野口氏
    • 考え方というよりも、実際的問題。
    • まずカタログしなくてはいけない。
      • アメリカの場合、OCLC*6という参加館がカタログ情報をシェアする仕組みがある。
      • 版本の場合は、他の大学で既にその本を持っていてカタログを作っていれば、データをコピーして修正して使える。写本の場合にはひとつひとつ作り直さなければならない。
      • OCLCからデータをコピーできるレベルの人、一から写本のカタログをとれるレベルの人は数が限られる。それで分ける必要。いま所蔵しているものは混ぜて置かれているのか、分けられているのか不明だが。
  • 勝又氏
    • 想像もつかない答えだった。ありがとう。
    • 【ここで中継中断あり】
  • フロア
    • 版本が分からないと写本も分からない。日本の版本と写本を考えるときに、中国との関係、西洋との関係が気になる。
    • 印刷が生じたときの写本に対する価値観。写本をどう認識していたか。
    • 写本が残ってもいない、というのは写本軽視を感じる。
    • 中国の刊本は写本の真似をしない。西洋では写本にそっくりなものを作るところから刊本が始まっている。同じ印刷術と言いながら、西洋と中国で差がある。どう思うか。
  • 松田氏
    • 【ここで中継中断あり】…は、オリジナルなものに近いだろうという思い込みがあって、19世紀のヨーロッパの書誌学はやってきた。
    • 今では、それぞれ生まれたコンテクストが違うわけで、そのコンテクストを知ることが必要とされている。それを知ることで、どれがよりauthenticなのか知ることもできる。両方を並べて見ていこうという視線になってきたように感じる。
  • 高橋氏
    • 松田先生の話を聞いていると、やはり中国と西洋は違うと感じる。
    • 中国ではなぜ刊本が中心なのかというと、印刷技術にすごく自負がある。決して手書きの本を軽視した訳ではない。
    • 写刻本(しゃこくぼん)というものがある。書の達者な人が版下を書いて、そのまま版にする。書の写本を版木で彫ることができるという技術を誇っている。写刻本は非常に価値が高い。
    • 印刷技術が発達したことで写本文化が不要と考えられたか、というとそうではない。中国では書写、書道の大家というのが重んじられている。なぜ書物においては写本でなく刊本が残ったか。
    • 印刷技術の発達によって、写本文化を押し隠した。
    • 松田先生の話を聞いていると、西洋では完成された美しい写本が基準になっている。中国では美しいものがあっても、それを木版に彫刻できる技術をさらに重視した。
    • 宋の時代の出版物で「これは誰が版下を書いた」と記載されているものがある。その版下は中国の国立大学である国子監(こくしかん)の書生が書いたもの。版下に権威がある。そういう字体を伝えていることに権威がある。
    • 写本文化という概念がない。中国は出版文化。葬り去ったわけではなく、写本も重んじられていたけれども。
    • 確実なのは、宮中において皇帝に献上される本は写本だった。宮中で出版された本はある、でも権威はない。権威あるものは必ず写本。いちがいにどうとは言えない。
    • 中国は、西洋とも日本とも違う意識のもとに作られた書物文化ではないか。それを念頭において向き合っていくと、分かることがある。
  • フロア
    • 自分が写本と版本の違いを考える時に思うこと。写本は、たとえ版本を写したものであっても、なんらかの意味で特定の読者を想定して作られたもの。版本はある程度不特定の人を想定。そういう違いを、日本の写本の場合には感じる。
    • 西洋、中国の場合にはそういうことがあまりない?
  • 松田氏
    • 西洋も基本的に日本と同様。
    • やはり写本は特定の所有者、読者層を想定して作られるもの。想定されるのは個人のこともあれば、ある特定の社会層ということもある。それがあって初めて作る。
    • 印刷本は「これはきっとたくさんの人が読むだろう」という考え方。特定のグループを想定するのではなく、むしろ出版によって新たな読者層を開拓していくような。そういう傾向が18-19世紀になると強くなっていく。
  • 高橋氏
    • 中国の場合も、やはり写本は特定の人に向けたものであったとはいえる。
    • 宮廷の写本は皇帝のために作られたものであり、基本的に皇帝以外見られないもの。
    • 原稿があり、それを写して稿本になり、版下、刊本になる。そういう手順を伺い知ることができる。
    • 写本は出版を前提にして作られるものだったのかもしれない。版下は版木に置いて削られるから、当然無くなる。原稿というのも、当時紙は貴重なので裏を別の用途に使われたり、反故紙になったり。
    • 中国では、どちらかというと、出版を目的とした写本が多かったのかもしれない。明清の詩文集などで、出版されなかったものでは、出版を前提としていたであろう写本が残っていることもあるが、写本と刊本が両方残っていてしかも内容が同じというケースはあまりないと思う。刊本を作っていく過程の一つ。
    • たまたま刊本が手に入らないので写すということはあっても、よりたくさんの人に見てもらうために写本にするという例はあまりない。出版文化というのは多くの人に読んでもらう、流布するための営為。
  • 勝又氏
    • 実際聞いてみて、ここまで違うのかと驚きを新たにした。
    • 考え方、研究姿勢の違い。いろいろなものに根差した違い。
    • 考え方も違うし、研究自体もとっちらかっているが、そういう時代だからこそ訴えていかないといけない。今後の課題。

 感想。

  • 前半も面白かったが、入口氏の論点整理で、おおっそう繋がるか!とテンション急上昇。
  • ひとつの国の文化からその国の出版を考えるのか、一つの出版というテーマからそれぞれの国の文化を考えるのか。今回は日本・中国・西洋の話だったが、日・中・韓の出版史の話を並べて聴くのも面白そうだ。
  • 野口氏と勝又氏のやりとりの箇所で、司書にとっての当たり前が、研究者にとっては思いもつかない事象だったというコメントが新鮮だった。似たような場所で似たようなモノを扱っているように見えても、お互いに知らないことがあるのだなぁ。
  • 一通り聴いたら、印刷博物館に行ってみたくなった。

*1:ここで自分は先日読んだこの本を思い出した。

揺れ動く『源氏物語』

揺れ動く『源氏物語』

*2:

*3:ホワイトボードの字が読み取れなかった。

*4:ホワイトボードの字が読み取れなかった。

*5:ヤシの葉などに書いたもの

*6:OCLC

明星大学日本文化学科国際シンポジウム「世界の写本、日本の写本」を聴いた。〜前篇

 こういうのを聴いた。

2017年1月9日(月・祝)明星大学日本文化学科国際シンポジウム「世界の写本、日本の写本」
【発表者】野口契子(米国プリンストン大学 司書)、高橋智慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 教授)、松田隆美慶應義塾大学文学部 教授)
【ディスカッサント(討論者)】入口敦志(国文学研究資料館 准教授)、ジェフリー・ノット(スタンフォード大学大学院 博士課程)
【チェア(司会者)】勝又基(明星大学 教授)
http://www.meisei-u.ac.jp/2016/2016120901.html

 「行ってきた」じゃないのがミソ。今回Ustreamのライブ中継を聴いた。音声はクリアだったが、スライドやホワイトボードの文字はあまり読み取れず*1。また時々中継が途切れた箇所もあったものの、全体として非常に面白かったので不完全ながらレポートにする。以下はxiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。敬称は「氏」に統一。

  • 司会:勝又基氏
    • 江戸時代の出版文化というと、刊本が中心というイメージ。しかし写本がなくなったわけではなく、和歌などではまだ写本中心。奈良絵本も江戸時代に作られたものが多い。
    • むしろ印刷本を含めた出版自体の発達により、新たな写本文化が生まれた。実録など。また版下本など、木版だからこそ生まれた本もある。
    • 出版文化があったことで、写本がより多様なきらめきを見せた。
    • カリフォルニア大学バークレー校の所蔵する旧三井文庫には、1,800点ほどの写本コレクション*2。写本文化の全体像を知る上で貴重な資料。
    • 海外に所蔵されている写本を扱うということが大きなポイント。いわゆる国文学の分野のみならず、幅広く、海外も含めて情報発信していきたい。世界におけるManuscript Studiesの中に、日本の江戸時代の写本の在り方を位置付けたい。
    • (以下、登壇者の紹介)
  • 野口契子氏(米国プリンストン大学 司書)
    • 自分はプリンストン大学東アジア図書館*3の日本研究司書。専門研究者の中に並んで司書の自分が出る機会をいただき、過分に思う。海外だとあまりない。
    • 自分は北米の東アジア図書館協議会(CEAL)日本資料委員会の元に組織された日本古典籍小委員会*4のCo-Chairを務める。こうした関係から、日本とアメリカのネットワークを深めていきたい。アメリカにある日本写本の状況と、よりよいアクセスのために何ができるか。
    • 今日の話は北米大学の状況に限る。
    • 日米の状況を比較すると、アメリカの方が、図書館が教員や学生の研究に密接な関わりを持つ。人文学のシラバスやサイトは図書館と必ずリンクし、司書にも力がある。
    • 北米の大学で、日本の中世写本をどれほど持っているか、また写本について教えるプログラムがあるかを調査して、地図化したものをスライドに出す*5
    • 州のところにカーソル持って行ってクリックすると、その州内の大学の所蔵・プログラム状況がリストで出てくる。中世研究者のブログでも紹介されたことがある。
    • 【ここで中継に中断あり】
    • 4年制の大学150校くらいが中世研究を扱っている。北米では中世研究は決してマイナーではなく、むしろ最近では注目集めつつあるかもしれない。
    • しかし日本の写本についてはどうか。東アジア学部のある大学では講義があるし、古典籍も取り上げ、ワークショップなども行われる。しかし写本のみを扱う講義は見かけない。
    • 全体として、東アジア学部がある大学というのは多くない。日本の中世研究はさらに少なく、写本まで扱うのはもっと少ない。大学の正規プログラム外で日本の写本を扱う講義はあるが、あくまで日本の古典籍という枠の中で扱っている。
    • 日本の古典籍を教えている大学としては、バージニア*6とカリフォルニア*7に機関がある。しかし写本を含めた古典籍の数と研究者の数の割合は、世界の中では少ない。
      • しかし実はこれから盛んになるのでは?
    • 北米での中世研究で写本がどのように扱われているか。プリンストン大学の例2つ。
    • 最初の例は夏期講習で5週間にわたってされている*8
      • パピルスビザンチン時代の写本を実際に扱う講義。
      • 図書館が中心になって行う。実物も見せ、デジタル化したものを多く活用。昨年は200〜300点くらいの写本をデジタル化し、活用。
    • 次はプリンストンの別の講義。
      • 日本史教えている先生のクラス。古文書、実際にあるものを活用。
      • 昨年の夏、大内義興*9の古文書を入手。すぐにデジタル化。急いでもデジタル化作業には1ヶ月ほどかかるが、その間に学生には実物を見せ、背景も説明。
      • 古文書を読む目的のクラスだが、文面を読む際はデジタル化したものを使ってもらう。デジタル化したものの方がはっきり見える。
    • ここで図書館が果たす役割。
      • まず史料の購入。このような古典籍、古文書類を購入するときは研究者と司書が相談して決める。司書が予算を持っているので決定権がある。目録が届いた時に研究者から希望があったり、司書から持ちかけたりする。
      • ものが届くと研究者に見に来てもらい、色々話す。
      • 次にクラスに持って行って学生に見てもらう。
      • 同時に、書誌的な処理を行う。背景明らかにし、カタロギング・デジタル化を行う。デジタル化の前には紙の保存をしてくれる人*10のところに持っていく。デジタル化は専門の写真屋さんに連絡する。
      • 写真屋さんに撮影してもらったファイルの順番や向きに誤りがないかチェック。
    • これらが最近のライブラリアンの重要な仕事の一部になってきつつある。
    • いまのはプリンストンの例。イェール大学では、プリンストンとかなり似た講義のしかた。イェール大学には日本研究司書の中村治子さんという方がいる。朝河貫一の資料研究*11が行われている。ライブラリアンもそういった席に参加し、研究者が何を求めているか探る。他の北米の大学では、あまりそういうことはやっていないらしい。
    • 図書館が関わる仕事の一つに、目録作成と書誌情報整備。
      • 中世研究者にとって写本はかかせない資料だが、一般的にはどのくらいの比重か。北米でも写本の存在を示すカタログ作られている。作られること自体が関心のあらわれともいえる。
      • 北米のどこに写本があるかのカタログが何回か作られている。中世写本所蔵機関と、日本古典籍所蔵機関のディレクトリ。
      • 後者に「在外日本古典籍所蔵機関ディレクト*12」がある。日本古典籍小委員会が中心になってつくっているもの。北米だけでなく欧州もまとまって入っている。
      • 毎年、12-1月にかけて、参加館にお知らせを送って更新してもらう。各館で新たに購入することもあるし、館内で気づいていなかった資料が発見されることもあるので。
      • ただしこれは古典籍のディレクトリ。写本単独ではない。写本のディレクトリはまだない。
    • 写本のデジタル化が最近話題になってきている。IIIF(International Image Interoperability Framework)*13など。
      • これはもともと中世の写本を集めることが目的でつくられたもの。国際、画像、相互協力という単語が入っている。
      • 始めたのはスタンフォード大学大英図書館、フランス国立図書館コーネル大学など。各機関に散らばっている写本のイメージを集めてきて、同じウェブ上で比較研究することが可能になる。北米ではイェール大学やスタンフォード大学で盛ん。
      • IIIFのトップページ。写真を使ったアーカイブもできるし、古地図も、平家物語のような写本も画像として見られる。こうしたものを使ってどういうことができるか。
      • スタンフォード大学の例。このような方法で、世界中に散らばっている写本のかけらを集約可能。ばらばらになっていたかけらを見つけたり、順番に並べたりできる。研究が進むだろうという期待が持てる。
      • プリンストンでの試み。来月システムが変わるため実際のサイトは見せられないが、写真だけ提示。プリンストンにある奈良絵本の平家物語国立国会図書館所蔵している甲陽軍鑑イリノイ大学の蓬莱物語という絵巻。よく似ている。
      • 絵にかかれた人物像の耳の形が似ているという指摘もあり。IIIFを使うと、それぞれの画像の耳だけ拡大して比べることもできる。
    • デジタル化によって研究が進み、写本に注意が向けられるという相乗効果が規定できる。
    • これからの写本についてどういうこと考えるべきか?
      • デジタル化による研究の発展は、まずお金がかかる。
      • 欧米だと日本の資料は後回しにされがち。デジタル化をするにも、専門の司書や研究者いるとは限らないし、いてもその人の知識が充分とは限らない。書誌情報やメタデータ作る必要があるが、ハードル高い。
      • 日本に向けられる注目度は高くない。そこまでもっていくにはどうしたらいいか?
      • 国際協力、お互いの情報交換。日本古典籍小委員会のCo-Chairとして、図書館資料協議会の委員長をしている間に、できるだけワークショップを開催する。北米でのグラントに応募してお金をとる。研究者を招く、情報発信に力を入れていることを見てもらう、発表できる場を設けたい。それで目を向けてもらえるのではないかと考える。
  • 高橋智氏(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 教授)
    • 自分の専門は中国の写本の話。直接日本のことと重ならないかもしれないが、写本というものが中国から日本にわたってきて、日本の写本文化ができた、その歴史の実態を知識として入れておいたほうがいいと思う。
    • 中国には写本研究がずっとなかった。文献学といえば出版史というのが中国の研究のカテゴリ。
    • 中国では文献学が三つに分かれる。目録、版本学、校勘学。日本で書誌学といわれるものが版本学にあたる。
    • 20世紀ごろになって「版が印刷物、本は写本であって、版本学はどちらも対象とすべき」という考え方が出てきた。そこからようやく研究が始まったようなもので、あくまでも中国においては写本研究は出版史に従属するもの。
    • なぜか。中国では、唐以前はすべて写本。宋の時代に、革命的に印刷文化が生まれ、木版印刷が発展した。あまりにも発展したので、唐の時代以前の写本は、宋の時代に再整理されてしまった。現在目にする唐以前の古典籍は、宋時代以降のテキスト。
    • それが2000年も続いたので、本=出版物という考え方が定着した。
    • 大蔵経の話になったが、ここで中継中断あり】こういうものが発見されるようになってきて写本研究されるようになってきたが、まだそれほど進んでいないのが実情。
    • では、中国では写本文化が発展しなかったのか。
      • 民間でなく、宮中には残っている。宋の時代の写本として確実な本はひとつしかない。他にも内部で写本は作られていたと思うけれど、今残っているのはほとんど明と清。ないふしゃほん*14
      • 典型的なのが『永楽大典*15』。明の永楽時代に永楽帝が一万冊の写本を作った。現在は何百冊かだけ現存。中国には写本が少ないので貴重、世界文化遺産に指定されようとしている。
      • それから『四庫全書*16』。乾隆帝が作った3万3千冊。これは全部写本で、宮廷写本。
      • この両者が中国の写本文化を代表する。
      • 永楽大典は明の皇帝文化を代表する写本だが、内容的にはあまり使われることない。四庫全書はデジタル化もされて検索可能*17。ただしテキストなので、写本としての四庫全書の研究はほとんどされていない。
    • そういう状況の中で、ここ10-20年、中国で写本研究の新しいものが出てきた。何か。
      • 民間の稿本、鈔本を研究する。
      • 稿本とは中国の明清の原稿、残っている写本。宋以前はないので。これらを集めて研究しようという動き。たくさん残っているけれどもこれまで注目されていなかった。藍格正本(らんかくしょうほん)。蔵書家には大事にされてきたもの。大事にして人に見せなかったから研究が進まなかったが、蔵書家の本が近代図書館に入ってから進んできた。
      • 鈔本とは、版本をうつしたもの。スライドの写真は翰林院(かんりんいん)のハンコが押してある。四庫全書を作るとき、全国から写本を翰林院に提出させ、使ったあと、蔵書家に帰す時に押したもの。字が直してあるが、これは翰林院の編集員が直したもの。このように四庫全書の基として使われた写本が意外と残っている。
      • 蔵書家の中でもっとも重んじられたものとしては、校本。これは書き入れ本。版本に赤で書き入れたもの。有名な学者が書き入れたものなどは価値があり、写本研究と同列に中国では行われている。
    • こうした動きはすべてここ10-20年で、最近のこと。これらの本をどう分け、どう整理するか。写本の研究はこれから始まるところ。
    • おおまかな中国の写本研究の状況。
      • 明清の写本は非常にたくさんある。
      • 一方でたくさんありすぎて、年代の特定や自筆か写しかといった書誌学的考証は大変。
      • 中国の出版物に関してはかなり完璧な鑑定の方法が確立されているが、写本はまだまだ。
      • これらの本を見ていくと、中には日本の江戸の写本も出てきたりする。南京図書館などにもある。向こうでは整理ができないから、利用提供できなかったりする。
      • ほかに、最近中国の写本研究で注目されているもの。日本の古写本。江戸よりも室町以前など。中国人も注目するようになってきた。それも緒に就いたところ。
    • まとめ。中国では写本の研究はこれから。実態としては宮中における ないふしょうほん が中心だが、民間の蔵書家がもっていたものも多く存在。データベースなども作られていない。中国の図書館でそういうものを見ていくと、日本の写本も出てくるかも。これから期待。
  • 松田隆美氏(慶應義塾大学文学部 教授)
    • 自分は西洋中世の研究者。ここ数年間国文学系の人と共同研究などしていた関係で、発表の機会もらった。
    • 西洋の写本と印刷本。西洋の写本文化から印刷文化への過渡期の話をする。いわゆるマニュスクリプト、手で書かれたもの。
      • 西洋の写本は獣皮紙。羊皮紙というが羊に限らない。山羊、牛などの皮をなめしたもの。半月ナイフで油脂をけずりとり、白いチョークの粉を表面に塗る。
      • 字を書くのは鵞ペン。鳥のサイズにより色々ある。白鳥だと大きい。細い字を書く時はもっと小さい鳥の羽。インクが垂れるので、傾斜のついた机でペンを紙に対して垂直に使う。
      • できあがったものを綴じて本にする。巻子本と冊子本の2種類。
      • 羊皮紙以前の素材はパピルスパピルスは折りたためない。パピルスは巻子、羊皮紙は冊子。
      • 羊皮紙の本の写真。手彩色の美しい挿絵。写本は基本的に一点もの。王侯貴族のための豪華なもの。
    • ヨーロッパ中世の書物の量産。
      • 良質の書物をたくさん必要とするのは教会と大学。教会では、個人が持つ祈祷書など。大学では教科書。
      • どうやって量産したか?どうやって本を生産し、それが読書形態とどう関わったか。
    • ヨーロッパではどこで書物が作られたか。
      • ひとつは修道院修道院はかなり僻地にあること多い。
      • もうひとつは大学。大学は修道院と違い、主要都市に作られる傾向がある。
      • 13世紀くらいを境に生産地が変化。修道院で作っていたのが、13世紀に大学が登場すると、その周辺に本の工房ができる。
    • 大学で使われていた教科書。
      • ヨーロッパの大学での講義の様子。前の方の学生は真面目、後方は寝ていたりする。今と似たような風景。
      • 教科書本文の周りに細かく注がある。同時に、しばしば広い余白。余白には読者が書き入れを行う。現在残された本の状態を見ると、持ち主は、どのスペースにどのノートを取るかきちんと計算してとっている。出来の良い学生だったのだろう。
    • 教会で使われる書物。
      • 教会では地域ごとに決まったかたちで儀式を行うので、典礼書というマニュアルが要る。
      • これに加え、一般の信者が使う祈祷書。
      • ヨーロッパではもっとも多く作られた写本。ところどころ美しい手書きの挿絵が入り、豪華なものは装丁もベルベットなどで凝っている。
    • ヨーロッパ中世の書物を特徴づける点。
      • 細密画、挿絵、装飾など多くの色を使って飾られている。どういうタイプの書物にも共通。
      • 一方、用途に応じて工夫されたページもある。
      • たとえば聖書。違う時代に作られた聖書だが、比べてみるとデザインはよくにている。どちらも2段組み。
      • 【ここで中継中断あり】
    • 印刷技術の始まり
    • 写本の時点でひとつの到達点に達していた。そこに印刷技術が入ってきた。
    • ヨーロッパ写本制作の最高技術の本が作られたのと、活版印刷の発明は30年くらいしか間があいてない。
    • グーテンベルク。肖像は何種類もあり、正しい顔は不明。ドイツのライン河沿いの町で活版印刷術始める。
      • ライン川領域はブドウの産地。ブドウ圧搾機を参考にして作ったといわれている。
      • そして鉛で活字を作った。手引き印刷。活字を置いて、上からインクを塗って、紙を置いて圧力をかけて押し付ける。
    • 出来上がったグーテンベルク聖書の写真。
      • 左手がグーテンベルク42行聖書。右側がそれより前に作られた写本の聖書。
      • ページレイアウトはほぼ同じ。2段組み、章番号を露わす数字を赤と青で入れるなど、写本の時の約束事を引き継いで作っている。
      • グーテンベルクが作った聖書を複数比べてみると、同じ印刷本だが見た目はかなり違う。
      • 違うのは装飾部分。印刷本といっても、印刷した後で手描きの装飾や、挿絵、イニシャル、章番号などを入れて初めて完成する。
      • 印刷技術は書物生産のひとつのプロセスに過ぎず、値段の安い代替物という扱い。
    • そこからどうやって活版印刷は一人立ちしていったか。
      • 紙を使うことによって量産と小型化。
      • 写本の特徴である装飾部分をどうすればいいか?手で描いている以上、その部分がボトルネック。そこで出てくるのが版画技術。
      • ヨーロッパでは活版印刷とほぼ同時期に版画技術が発達した。銅版、木版などで書物に挿絵を入れる技法。
      • その中には木版本という、文字も挿絵も一枚の木に彫るものもあった。ヨーロッパでは15世紀からしばらくの期間作られたが、日本と違って主流にならなかった。版画と活版を組み合わせるのがメイン。
      • 中世写本の特徴である細かな挿絵を入れた頭文字なども、版画で代用。版画を使うということが活版印刷本のメリットとして強調されるようになった。
      • 版画を大量に使い、余白のボーダーに小さな版画をびっしり入れて埋めるなどの本も現れた。写本で同じことをやろうとすれば大変コストがかかる。印刷ならば安い価格で作れる。質は落ちるけれど量で勝負。
      • 写本と同じようにカラーにしたければ、手で彩色。19世紀のリトグラフ登場までカラー印刷はほとんどなされなかった。そのようにしてヨーロッパの印刷・写本文化は推移してきた。
    • まとめ
      • グーテンベルク活版印刷術導入してしばらくは、写本と印刷本が併存していた。
      • 写本を印刷本で再現しようとするところから始まった。
      • 写本が持って視覚的要素を版画で表現するところから、質ではかなわないので、量で印刷本の強みを生かすように。
      • 16世紀半ばくらいになると版本が圧倒的になるが、写本がなくなったわけではない。たとえば詩集。身近で回覧する。
      • 中世だけでなく近代初期19世紀はじめくらいまで、どのように両者が共存していったか。

 ここで第1部終了。記事が長くなりすぎたので一旦ここまで。

*1:したがって専門用語の漢字は間違ってる可能性も。

*2:かなり古い記事だが参考:CA607 - カリフォルニア大学バークレー校「三井プロジェクト」終了 / 中井万知子

*3:Princeton University Library The East Asian Library and the Gest Collection

*4:CEAL CJM:Subcommittee on Japanese Rare Books

*5:Web上に公開されているらしいが、その場ではよく見えなかった。前掲のSubcommittee on Japanese Rare Booksのページあたりにあるだろうと思うので、あとで見つけたら追記。

*6:Virginia Rare Book School

*7:California Rare Book School

*8:講義名はメモし損ねた

*9:このように聞こえたが、間違っていたらごめんなさい。

*10:館内の担当者か、外注業者か不明。

*11:参考:CA1885 - イェール大学図書館の日本資料コレクションに関する最近の研究動向 / 松谷有美子

*12:在外日本古典籍所蔵機関ディレクトリ

*13:トリプルアイエフ。デジタル画像相互運用のための国際規格。

*14:キーワードっぽいが、漢字不明。

*15:Wikipedia|永楽大典

*16:Wikipedia|四庫全書

*17:参考:国立国会図書館リサーチ・ナビ『四庫全書』と関連叢書の調べ方

2016年に、みききし、おもったことども。

 年の初めに、ざっくり振り返る。

  • ブログ状況

 更新回数は17回。うち13回がイベントレポート。

  • 読んだもの

 「謎の独立国家ソマリランド*1」の著者と、室町時代の研究者との対談。アフリカの部族社会を日本の中世武家社会に例える比喩は「謎の〜」でも登場していたが、その時はやや違和感があった。しかし、実際に専門家同士がフラットに交わすおしゃべりは刺激的かつ愉快。研究書ではないが、新たな視点を発見するための知的飲み屋トークとして楽しんだ。山口晃さんの表紙デザインも素敵。

    • 一万年の進化爆発

一万年の進化爆発 文明が進化を加速した

一万年の進化爆発 文明が進化を加速した

 「銃・病原菌・鉄*2」への批判本らしいが、前者を読んで面白かった人はこの本も楽しめそうな不思議な批判本。アシュケナージユダヤ人が歴史的・宗教的理由で強い淘汰圧にさらされた結果、遺伝的に知能指数が高い代わりに特定の遺伝病が多く発生する進化を遂げたという話が興味深かった。長所と短所はセットと考えると、現在ただのマイナスと見えているような遺伝的特徴も、もしかすると別の環境においてすごく貴重な可能性を秘めていることもあるのかもしれない。

    • 情報覇権と帝国日本

情報覇権と帝国日本I: 海底ケーブルと通信社の誕生

情報覇権と帝国日本I: 海底ケーブルと通信社の誕生

情報覇権と帝国日本II: 通信技術の拡大と宣伝戦

情報覇権と帝国日本II: 通信技術の拡大と宣伝戦

 明治初期に外国の会社と電信の独占契約を結んでしまった日本が、その後自前の技術や資本や国際社会での発言力を蓄積していく中で、どのように主導権を取り戻そうとしたか。分厚くそして緻密な本なのでいちいちの情報はあまり覚えていないが(あかんやん)、そのときどきの政治的状況、各プレーヤーの思惑、契約上の細かな駆け引きなど、情報流通を巡る裏事情が面白い。今でいうと電子ジャーナルや検索エンジン著作権等をめぐる国際的な駆け引きみたいなものか。…で、いまリンク張ろうとして気づいたのだが、2016年に第3巻が出てるらしい。わーい。

    • 書物の日米関係

書物の日米関係―リテラシー史に向けて

書物の日米関係―リテラシー史に向けて

 現在アメリカの大学等に所蔵されている日本語図書のコレクションが、なぜそこにあるのか?誰がどうやって集めたのか?を追った本。日本への理解を深めてもらうために構築されたコレクションが、日米関係が悪化すると敵国としての日本を研究する目的で活用され、その研究がまた戦争の終わった後には、少数ながら心から日本文化を愛する人を育てる苗床として機能する。「日本研究」の一筋縄でいかなさ。

    • 消されたマンガ

定本 消されたマンガ

定本 消されたマンガ

 著作権問題、差別表現、残酷表現などで、単行本では改変されていたり、単行本に収録されなかった作品の事例紹介。作者自身の意思で本にされなかった作品に至っては、雑誌のバックナンバーを所蔵している図書館くらいでしかアクセスできず、合法的に世に広める手段はほとんど無い。
 そういえば2016年には「こち亀」が「少年ジャンプ」での最終話掲載を迎えて話題になったが、同じ号に載った1976年の第1話は、台詞などで問題になりそうな箇所が一部変えられていたという。読みながらその話を思い出した。

    • 国宝消滅

国宝消滅

国宝消滅

 文化財を経済の世界で「現役」にし、生きて動いている状態にすべしということを主張した本。文化財を稼げる観光資源とし、しかも大事に祀り上げておくのでなく日常的なメンテナンスを行い、それによって伝統技術の需要を増やし、若手を育成する。やり方については感情的に反発を感じる部分も無いではないが、少なくとも方向としては、この方向しかないのだろうなと思う。

  • イベントなど

 図書館大会も総合展も行かなかった。聞きに行ったイベント等は、たいがい記録にしている。

 ズボラな自分にしては比較的きちんとレポートを上げられた。理由を考えてみると、このレポートはあの人の役に立ちそうだとか、この情報はいつ使う予定だから整理しておかねばとか、知人に尻叩かれたとか、だいたい外在的理由。

  • 懺悔

 2016年にみききしたことで、結局年が変わるまでブログに書けなかったもの。理由は100%自分の怠け癖。

    • 加東市中央図書館*3へ行ってきた。
      • 貸出密度を調べてみた。」で調べた加東市の図書館。貸出数の多い理由は何だろう?と足を運んでみた。実際雰囲気の良い素敵な場所だった。あとは駅からの遠さにたまげた。図書館のホームページに駅からの行き方が書いていなかったので嫌な予感がしたのだが、最寄り駅から徒歩40分以上。しかも暑い季節だったこともあり歩道はほとんど人影がなかった。道路は広くて車の交通量は多く、移動手段のメインは車なのだろうと実感。あのあたりの地域で広域利用可能にすることのメリットを身に染みて理解した。
    • 映画「海すずめ*4」を見てきた。
      • 図書館が舞台の映画。市立図書館自転車課の若き図書館員の活躍を描く。宇和島の綺麗な風景と、爽やかな青春物語が楽しい映画だった。2016年は図書館の歴史関係の話を聞きに行く機会が多かったこともあり、戦前の私設図書館の歴史にまつわる資料を探すという設定にもわくわく。ただネタバレになるので詳しく書けないが、「資料」でなく「史料」と呼ぶべきものを扱うのに「あちゃー…」という扱いが結構あって、野暮と知りつつ、見ながら身悶えしていた。
    • 岡山図書館ツアー
      • その1(岡山市中央図書館)だけ書いて放置しているが、この時には都合4つの図書館を回った。暑さのあまりボーッとなって、1館分だけ書いたところで力尽きた。きっかけがあればまた書くかも(未練)。
    • JALプロジェクト2016
      • よそのブログで詳しい記録*5が書かれていたので、単なるレポートはまあいいか、と思った。聞きながら思ったことは、年をまたいででも何かしらまとめねばと思う。
  • 総合的振り返り

 2015年はいろいろと変化があり、ついていくだけで精一杯だった。2016年にはいくらか慣れてきたことで、むしろ自分の力不足を具体的に思い知らされる場面が多かった。
 知識やスキルの不足は今に始まったことでもないが、いつの間にかゲームのステージはひとつ上がっている。知識やスキル自体ではなく、それらを裏付けにしつつ他のプレーヤーに情報を共有し、納得させて協力を得るといった高度な力が必要な感じ。プレゼンひとつでも、大事なのは話それ自体より、話す中身を支える圧倒的な知識とか、さらにそれを支える信念の方なのだと気づく。まったくもって今更だけれども。
 そういうものは付け焼刃できるものではないので、インプットとアウトプットを繰り返す中で筋トレみたいに少しずつ蓄積するしかない。読書が若干歴史寄りになったのも、ブログ更新というアウトプットが若干増えたのも、そういう足掻きの一環ではある。単発の知識でどうにかならない、腹の底から出てくる考えを養うには、歴史を知らねばならない。

 2017年の抱負は、結局上記の振り返りの延長線。学ぶということに、改めて本気で向き合う必要がある。…とは言え、続かなくては意味がない。ゆるゆる、ぐだぐだ、ぼちぼちと、今年もよろしくお願いします。

日本出版学会2016秋季研究発表会ワークショップ「出版史史料と図書館資料をつなぐための方法論」に行ってきた。〜後篇

 前回の続き。引き続き、xiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。敬称は「氏」に統一。

  • 鈴木広光氏(奈良女子大学
    • ひとつの書物とは何か。記述することの意義*1
    • デジタルアーカイブの画像を出版史料として使うためには、何が必要か。
    • ひとつの書物とは何か?という問いは難しい。
    • 『二十三年未来記』
      • 会場に、『二十三年未来記』という明治時代の本を20冊並べた。分析書誌学の立場からいうと、1冊1冊がすべて違う。
      • 初版が出たあと、昭和ごろまで翻刻も行われた。
      • 国立国会図書館*2国文学研究資料館*3などいくつかの機関で所蔵している。
    • 物として区別しようと思うと、他の版の情報を加える必要がある。
      • 国文学研究資料館の近代書誌・近代画像データベースの書誌記述では、書肆まで詳しく記載されている。書肆を追っていくことで販売網を概観できる。どの本屋が何を扱っていたか。
      • こうなっていれば出版史料として使える。異版の場合は、注記に注意喚起を入れてほしい。
    • 版ではなく、本の形が違うという話。翻刻出版。
      • 『二十三年未来記』は明治19年5月以降、翻刻がどっと出て、その後収まる。粗悪な版で売り抜けようとしたことが分かる。
      • ボール紙表紙のものと、仮表紙がついているものがある。
      • 国会図書館のデジタル化資料を見ると、6月21日の内務省印が押してある。これにより、届出から2週間程度で刊行されたことが分かる。
    • 組版
      • 版を重ねるに従い、ページ数が減る。本の体裁が変わっている。
      • 「第4版」の書誌記述は少しずつ違い、差異に注目していくと4種類ある。定価の周りに飾り枠がついている、奥付でなく本文追い込みで刊行情報が書かれている、など。
      • 濁点の有無。活字の書体、ひらがなの字体の違いなどから、活字がそもそも違う。
    • このように複数の本を比較して、コメントしてくれる人がいるといい。
    • アクセスした人自身が追記できる、Wikipedia方式のデータベースがあれば。
  • ディスカッション(以下、敬称略)
    • 長尾
      • データベースの書誌記述を詳細化するについては、文字数の上限等の課題もある。アイテム注記に入れるか。
      • その作業の主体は研究者であるべきか、図書館であるべきか。
    • 鈴木
      • 記述言語が必要。一定でないといけない。複数版を見て確定することができないから、記述の言葉が多くなる。
      • 多くを見て、統一された言語で記述するのであれば文字数は大丈夫だろう。
      • 研究者がやって、その成果を図書館に提供するという形で。
    • 中村
      • コーディングマニュアルの和漢書の項目は、明治以前の本。
      • 「出版・頒布事項」は全部書かなくてもよい、数が多い場合は「ほか」と記してもよいことになっている。研究者としては担保してほしい記述。
      • とはいえ奥付はともかく、組版の違いに気づくのは難しい。
      • カタロガーによってもやり方が色々違う。利用を考えるとき、研究という視点まで入れることが必要。
    • 鈴木
      • すべての書物について詳しい記述がなくてもいい。研究の対象となるもののみでよい。
      • ここに並べた20冊の『二十三年未来記』は、とても同じ本とは思えない。
      • たとえば仮表紙で出されたものと、ボール紙の表紙で絵入りのもの。前者は「情報」でしかない扱い、後者は買って読むもの。
      • そういった点の違いは、本を買った人にとっては大事なもの。当時の読者の様態がどのようだったか知ることができる。
    • 中村
      • 研究者の研究をどこまで書誌に反映するか。出版史料の、モノとしての側面。
    • フロア
      • アイテムごとに画像化しておくのでいいのでは。全アイテムを。
      • テキストはOCRの技術が進んでいる。そのうち自動化されるだろう。
      • 図書館のデータベースに文字数等の制限があるのであれば、たとえばアイテム画像へのURLを飛ばすのでもよい。
    • 鈴木
      • 出版史料は、どこかで公開している画像につながればよい。
    • フロア
      • LODの考え方。データを有機的につなげる。DBの設計、たとえばRDF記述など。
      • 古典籍のデジタル化は進んでいるが、近代以降はまだまだ。
      • 国会図書館でやってほしい。デジタル化コストはどんどん下がるだろう。
    • フロア
      • 原本を見ることによってそれが分かる、ということがどれだけ周知されているか。発信が大事。
      • デジタル化されない資料もある。デジタル化されても原本を見る必要がある。
    • 磯部
      • 図書館の原簿というのは公文書的なもの。図書館内部をどう説得するか。
    • 鈴木
      • 明治のものでも、公文書だと公開しづらいか。
    • 中村
      • 図書館としては、問題なく公開できるものをデジタル化資料として使いたい。
    • 中村
      • 図書館員は公文書をカタロギングできないという問題も。
    • フロア
      • 図書原簿には寄贈者の名前等が載っていることがある。寄贈したこと自体は良くても、どの本を誰が寄贈したか明るみに出るのは問題になる可能性も。
    • フロア
      • 図書原簿について。京都大学でいえば、第三高等学校の史料が最近オープンになったが、そのきっかけは、教育史を研究している先生が来たから。
      • 図書館がイニシアティブをとっていくのは難しい。
    • フロア
      • モノを残すという意味では、表紙絵というのも情報源。図書館ではカバーを捨ててしまうことも多い。
      • カバー自体は捨てても、表紙を映像として残すなどできないか。
    • 長尾
      • 原装のまま残そうという動きは一部にある。
    • 中村
      • 図書館はコンテンツのみ保存する方針になりやすい。
    • 長尾
      • 資料を生み出すのは研究者。
    • 中村
      • 研究者の発信あってこそ。

 ぐだぐだなメモは以上。以下、xiao-2が聞きながら思ったこと。

  • 中身ではなくモノとしての本について、図書館のおかれた政治的な環境(長尾氏)、図書館内での扱いに伴い発生する痕跡(磯部氏)、モノならではの側面から読み取れる情報(鈴木氏)とざっくり理解。
  • 結局「本」はどこまでが「本」なのか。フロアからカバー保存の話が出ていたが、最近は表紙全体を覆うような幅広の帯をつけて売っている本も多い。また「文庫X*4」のような取り組みもあった。本が読者の手元に届いた時どういう姿をしていたかというのはなかなか面白い問いだが、アーカイブは大変だろうな。
  • 一群の異版を並べられてみると、なるほど確かに違う本だと納得する。しかし実際図書館で本を整理する場面では、色々な本がごちゃっとなった状態から情報を入力している訳で、いちいち異版があるかどうか確認するのは相当難しい。明らかに古典籍と呼べるような本は初めから一点もの扱いだし、もっと最近の書物はまあそこそこ同定ができるのだろうけれど、明治あたりは結構エアポケットなのかもしれない。
  • デジタル化資料のメタデータをリッチなものにしてほしいという要望。
    • これには聞き覚えがある。別の場面*5では、図書館がベンダーに対して出していたもの。その時は結局コストが障壁ということだった。
    • デジタル化のコストは下がっていくという意見もあったが、自分はその方面にあまり楽観的でない。技術というものは必要とされればどんどん進んでいくけれど、進化を促すのに充分なだけの淘汰圧*6があるか?言い換えれば、コストが高くても情報量の豊かなデータベースやアーカイブが支持される=生き残りやすい社会状況があるのか?という疑問。
    • 支持するの主体は最終的には社会全体なので、誰かしらが「なるほどこれは値打ちがある」と社会に思わしめることが必要。それが図書館のアピールだったり、研究者の成果発信だったりするということなんだろうなぁ。

*1:なお鈴木氏の発表は、本の異版の現物を20冊ずらりと並べ、細かな書誌的差異を紹介していくもの。その場で見て聞く分には面白かったのだが、現物もなく書誌事項を丸写しする訳にもいかないため、このメモでは再現不能でカットした部分が多い。

*2:国立国会図書館デジタルコレクション|二十三年未来記

*3:国文学研究資料館近代書誌・近代画像データベース|二十三年未来記

*4:BookBang「書名を隠した「謎本」がいま売れている!」

*5:2016-07-03シンポジウム「日本の大学図書館員の論じる世界の大学と図書館 〜6/25開催のシンポジウムを振りかえりつつ〜」に行ってきた。

*6:この発想は、最近読んだこの本からの影響。

一万年の進化爆発

一万年の進化爆発

日本出版学会2016秋季研究発表会ワークショップ「出版史史料と図書館資料をつなぐための方法論」に行ってきた。〜前篇

 こういうのに行ってきた*1

2016年12月3日(土)
日本出版学会 2016年度秋季研究発表会
ワークショップ第2分科会「出版史史料と図書館資料をつなぐための方法論」
登壇者:中村健(大阪市立大学)、長尾宗典(国立国会図書館)、磯部敦(奈良女子大学)、鈴木広光奈良女子大学
http://www.shuppan.jp/yotei/840-20162016123.html

 当日の聴講者は10名くらい。以下はxiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。敬称は「氏」に統一。
 なお、このワークショップは会場の都合で、教室の前後方で第1分科会と第2分科会を同時に開催していた。登壇者をそれぞれ部屋の端におき、聴き手は背中合わせになる恰好。登壇者は前にいるがやや遠く、背後の第1分科会の議論がそれほど変わらない音量で聴こえる*2ものだから、基礎知識と集中力に乏しい自分にとってはかなり辛い状況だった。したがって、普段にもましてメモの精度は低い。幸い著作のある方々だから、そちらを読む方が1024倍くらいためになると思うよ。

  • 司会:中村健氏(大阪市立大学
    • 出版というのは本だけか、それ以外も含むのか。明治期資料の版違い等。
    • これらについて、図書館、研究者双方の意識の違いをとりあげる。
  • 長尾宗典氏(国立国会図書館
    • はじめに
      • 2016年度の発表会でも出版史料のアーカイブについて述べた*3デジタルアーカイブ化の進展により出版研究は進むか、なお生じる問題は何か、ということを述べた。
      • 自分は図書館員だが明治の出版史研究もしている。研究者として史料を集めていくことと、図書館員として利用者へのサービスを行うことの中で、感じるギャップがある。
      • 図書館はアーカイブとしての機能を一定程度期待されている。しかし研究者の理想と図書館員の理想は同じでない。どこかの図書館の蔵書をすべてデジタル化したらそれで研究基盤が整備される、という訳にはいかない。
      • 漱石全集物語」では、現物を見比べ、一冊一冊の本を読み解くことが描かれていた。
    • 図書館はどのように明治期資料にアクセスしているか。明治期の出版物はどのような流れで図書館に入ってきているか。
      • 国立国会図書館納本制度は昭和23年から始まったもの*4
      • その前は内務省からもらっていた。出版法に則り、本を作ると内務省に2冊納める。納められた1冊は内務省が保管。刊行OKとなった場合、もう1冊は帝国図書館へ。現在の国立国会図書館デジタル化資料で「内交」という印のあるものがこれで、内務省交付本。
      • 関東大震災内務省の書庫が焼失。この後、東京市の書庫に委託される。これが今千代田に残る内務省委託本*5
      • 新聞や雑誌については内務省からもらえず、寄贈または購入。
        • これは帝国図書館側の事情。上野図書館は、本来計画されていた建物の一部しか作られていない。書庫が足りず、定期刊行物は廃棄していた。これで内務省に怒られて、くれなくなった。
      • では、どの程度内務省の本が来ていたか。
      • 当時の帝国図書館側は「内務省から当然くるもの」と認識。一方で内務省の担当官が書いたものをみると「くれてやっている」という意識で、2部とも必要と判断したら送っていないことも。
      • また発行後に事情があって発禁になった本は、帝国図書館から内務省へ返却していた。したがって関東大震災前の本は残っていない。
      • 田中稲城は「一国の図書を保存することは国の責任だ」と言っているが、実際にはこうして残っていない実態がある。
      • 帝国図書館の側にも「甲部・乙部・丙部」という本の扱いの違い。甲部は利用に供するもの、乙部は提供しないけれど保存しておくもの、丙部は一定期間の後は廃棄するもの。
      • 結局、当時あった本全体をどの程度復元できるか。いまは日本全国書誌があるが、当時はない。
        • 代わりになりうるのが販売目録。東京書籍出版組合が出しているもの。ただし東京のみ、大阪や京都はなし。
        • 内務省納本月報*6。これは大正以降。
        • 明治39年の書物雑誌『高潮』。内務省に納本された本のリストがあった。約1000件。
        • そのうち現在の国立国会図書館に何冊入っているか、同定してみた。約5割。納本日と違う刊行日の資料をNDLで所蔵している場合も含めると、もう少し率は上がる。改版。
        • 半年で1000件ということは、1年2000件。それだけしか本が出ていないはずがない。内務省の届け出では、3万件近く。
    • 千代田区立図書館には「図書日報」という内務省のリストがある*7内務省で大事にとっておく本。フィルタリング。
      • 何が残っていないか。教科書など。島崎藤村の「破戒」も、現在所蔵しているものは購入したものらしい。
      • 図書館の目録は、利用提供のために作られるもの。
        • 最近、京都府立図書館とカーリルの連携*8で、複数の図書館でばらばらに目録に載っている資料をISBNなどで同定してまとめるという話があった。
        • 図書館としては、バラバラに目録をとったものをまとめていくことを志向する。古典籍や一点ものと反対。
        • FRBR*9。コンピュータ環境下で目録を作るにあたり、バラバラのものをまとめるために作られた。
        • 図書館利用者は、どの版であっても読めればよい。これに対し、明治時代には目録の取り方も定まっておらず、版管理が十分でない。
      • 一方で、図書館から抹殺された本というのもある。発禁本台帳。この場合目録にも残らない。
      • 布川文庫*10
        • 業務でリストを作成したが、作っていて迷いがあった。同じタイトルでも、布川氏から見た違いがある。たとえば『太陽』の同じ巻号のものが2冊あったが、一方は普通の号、もう一方は特製の上製本
        • 出版図書目録というのも一定数入っていた。こういうものはあまり図書資料にならない。
    • 図書館はアーカイブとしての役割を果たしてきたか。どういう性格で集められたかということを考える必要。提供の目的も違う。断片的に残るものを見て、全体を考察。
  • 磯部敦氏(奈良女子大学
    • 出版史料は有限。色々なものを出版史料として使う必要がある。
    • 図書館に関しては、本が入ってきたところから提供までの過程。具体的には、図書原簿を出版史料として使えないかという提案。
      • 奈良女子大学(昔は奈良女子高等師範学校)では、GHQの指示により本を廃棄したことがある。これは別の場所で報告した*11。今回は、図書館の開始直後の話。
      • なぜ図書原簿に注目したか。学校史と公共図書館の交差する部分。
      • 和田万吉は『図書館管理法大綱』で、図書原簿はその館の書籍の歴史を語るものであるとしている。財産台帳。
      • 図書原簿の項目。奈良女子大学図書館の所蔵する昔の図書原簿では、著者名や書名のほか「納人」「門部及番号」などがあった。
      • 明治42年奈良女子高等師範学校が開校してから、明治43年3月までに481点の図書を受け入れた。
        • どの分野の書物を多く入手しているか、グラフ化した。辞書が一番多い。
        • 図書分類はよくわからない。現在残っている代本板などを見ると、上から書いて使用されていたりする。分類については図書館員がまとめた記事などがあるので、それで把握。
      • 納人(寄贈者)に注目。一番多いのが木原近蔵。これは奈良の新刊本屋。豊住繁松という名もある。これも一部新刊を扱っていた本屋。
      • 納人と門部の相関を見てみる。木原はほとんどの分野を扱っていたと分かる。では、何を寄贈していないか?と考える。
      • 図書原簿により、その図書館の所蔵だけでなく、地域の出版の現状も知ることができる。
      • 奈良女子高等師範学校が使っていた図書分類はよくわからないが、独自分類。戦後に図書館員が作成したとされるものを見ると、図書館の思想や、生徒をどう育てていきたいかという考え方を見ることができる。たとえば「倫理」の門部で皇室が最初に来ているなど。
    • 出版史料は本だけではない。たとえば教科書の裏打ちに使われた反故紙が、文書だったりする。私にとっては「こんなところにも史料が」という感じ。
    • 各図書館等のデジタルアーカイブで、新聞に関わる文書を「新聞」で検索して探してみた。店名にたまたま「新聞」と入っているからヒットするケースもあれば、内容としては新聞流通に関する出版史料なのに、「新聞」ではヒットしないものもある。
    • 研究者としては、足を運ぶきっかけとなる情報があるといい。

 というところで、眠くなったので中断。続きは気が向いたら。