映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を見てきた。

 話題になっていた映画。先日ようやく機会があって、見てきた。感想など。

  • 感想その1:よくここまで見せたな@ユーザ

 まず驚いたのは、思った以上にナマの図書館、特にユーザの表情を写していること。
 たとえばレファレンスカウンターでのやりとり。自分の家系調査をしている人とスタッフとで「先祖は移民で、何年の船に乗った」といった話までしている。特にスタッフと絡まず黙って図書館を利用している人の姿も、度々大写しになる。閲覧室でパソコンを広げる人や共用パソコンを使う人は、その画面まで。書いている原稿?の文面、大腸がんの情報収集、中にはゲームしている人も。勉強している人たちはおおむね集中した様子に見えるが、中には眠そうな人もいる。
 ユーザの表情を撮る姿勢は徹底していて、文化プログラムや講演、フェアでも、参加者にカメラが向けられる。演奏会での居眠りや、詩の朗読をしている講演の最中に赤ん坊が泣いているのはご愛敬。就職フェアや、障害者のための住宅手当説明会で説明を聞く真剣な表情。
 その他「風景」的な引きの絵にも、しょっちゅう人がいる。スマホで記念撮影をする人、廊下の片隅のソファでずっと同じ姿勢で座っている人、玄関周辺にたむろす人。お陰でサービスの紹介に留まらず、生きている図書館の姿を見たという感じがある。
 ユーザがいない図書館はあり得ないので、ありのままの姿を描こうとすれば、ユーザを写し込まないことには伝えられない。でも生活に根付いているからこそ、そこにカメラを向けるのは難しい。ご先祖や病気の情報は、人によっては知られたくないことだし、生活支援系のプログラムに来ている人は、失業中であったり、生活が苦しい層であることが明らかな訳だ。たとえば同じ内容を日本で撮るなら、モザイクの一つもかけたくなるだろう。
 今時そこらへの配慮もなしに映画を撮ることが可能とは思えないので、おそらくものすごく長時間カメラを回して、映った人への説明をして、合意をとった映像で作られたのだろう。そのプロセスを考えると、監督も凄いし、図書館も凄い。

  • 感想その2:よくここまで見せたな@お仕事

 図書館を撮るにも、壮麗な建築やイベントだけではなく、地味な試みや裏方作業を丹念に撮っているのが面白い。返却本がコンベアで流されていく様子、録音図書作成作業、デジタル化の撮影作業等は、初めて見る人に意味が分かるだろうか?とちょっと心配になってしまったが。それでも、なんとなくであってもお仕事の裏側というのはやっぱり興味深い。
 裏方目線なので、たとえば著者トークショーの場面では講演の内容自体だけでなく、聴き手のトークスキル等の方も気になった。こういう水の向け方できるって凄く準備しているな、とか。映画パンフレットによれば、この聴き手をしていたのは「モデレーター」という職の人で、やはり図書館のスタッフであるらしい。
 そして度々出てくる会議の場面。とにかく会議。観客としては、会議の文脈も知らず放り込まれる状態なので戸惑うが、文脈が分かってきたところで、議題はどれも難しい。予算配分、ホームレスへの対応、外部連携、紙か電子か、等々。その場でスパッと結論が出る話でもなく、劇的な展開がある訳でもない。会議参加者が何か弄んでいる様子、相槌のリズム、口を開きかけて閉じるとかいった様子からは、合意形成プロセスならではの居心地悪さも読み取れて、参加者目線で真面目に考えるほど胃が痛くなる。編集するとは言え、そういうデリケートな場にカメラを入れるのは結構な覚悟が要っただろう。
 そういう場面も見せてくれるお陰で、思いがけず興味深いものが映り込んだりもする。たとえばジョージ・ブルース分館で、ネットワーク機器貸出をしている場面。カウンター内に監視カメラらしいモニタがあった。館内に監視カメラあるんだな。またパークチェスター分館で「どうやったら10代の利用を増やせるか?」という話題で閲覧室で会議をしている場面。よく見ると、はるか後ろの方の本棚に親子連れがいる。開館中に会議していたのだろうか。

  • 感想その3:やっぱりある格差、それとの戦い。

 予告編を見た時に気になってたので*1、画面に映る人々の人種構成には注意していた。途中で図書館幹部の記念撮影シーンがあったが、やはり大多数が白人のように見えた。スタッフ全体のいる場面と比較すると、比率がはっきり違う。図書館自身もそういう壁を抱えながら、過去の差別の歴史に目を向けるプログラムを実施している。
 また経済的な格差の存在も感じられた。たとえばパーティや一部の文化プログラムの客層と、生活支援的な催しの客層は明らかに違う。途中の幹部会議ではホームレスについての議論がなされており、閲覧室や街の風景にも色々な服装の人が映っていた。そういう現実がまずあって、それと戦うためにやっているのが各種のプログラムなのだな、と思う。
 ちなみに自分がこの映画を観た時、たまたま近くに香水のきつい人(他人)がいて、苦手なのでちょっと辛かった。映画には出てこないけれども、必ずしも静謐や清潔を保てない状態の人も受け入れる場であるということは、あの壮麗な閲覧室にも実際は色々な音や臭いが満ちているはずだ。その状態をお互いに許容することで成立している。ホームレスについての議論で館長が発言した「最終的に変えるべきはこの町の文化だ」という台詞が印象に残る。

  • 全体の感想

 映画にしようと思った監督もすごいが、ここまで腹を据えて「見せる」ということを選択した図書館側もすごい。
 組織としてそういう判断をできる理由は、見せなくてはならない、プレゼンスを高めなくてはならない、それによって直接的な財源確保につながるという覚悟にあるように思う。お金を集める、ということへのシビアな姿勢。
 それはひとつの組織として、主体的に何かをやっていくという覚悟でもある。官民協働での運営で、市との関係や行政との連携に心を砕きながらも、図書館自身の使命をどこまで貫けるか。たとえば選挙で過激な人種差別主義者がニューヨーク市長になり、市の政策がそういう方向になったとしても、映画に出てきたようなプログラムを続けるにはどうすればいいか、ということ。幹部会議で出てきた「持続可能性」というキーワードから、そんなことを考えた。

 ところで、これだけの「見せる覚悟」と「撮る覚悟」を持って向き合うなら、日本の図書館だってそれなりに興味深い見ものになるんじゃないかと思う。目新しい取り組みで注目されているようなところでなくても、当たり前の日常業務や、すっきりしない矛盾、うんざりするようなトラブルだって、なにかを維持するための戦いであるには違いないのだ。NYPLに感動したあとは、最寄りの図書館を、このくらいの解像度で眺めてみるのもよいかもしれない。