日本出版学会2016秋季研究発表会ワークショップ「出版史史料と図書館資料をつなぐための方法論」に行ってきた。〜後篇
前回の続き。引き続き、xiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。敬称は「氏」に統一。
- 鈴木広光氏(奈良女子大学)
- ひとつの書物とは何か。記述することの意義*1。
- デジタルアーカイブの画像を出版史料として使うためには、何が必要か。
- ひとつの書物とは何か?という問いは難しい。
- 『二十三年未来記』
- 物として区別しようと思うと、他の版の情報を加える必要がある。
- 国文学研究資料館の近代書誌・近代画像データベースの書誌記述では、書肆まで詳しく記載されている。書肆を追っていくことで販売網を概観できる。どの本屋が何を扱っていたか。
- こうなっていれば出版史料として使える。異版の場合は、注記に注意喚起を入れてほしい。
- 版ではなく、本の形が違うという話。翻刻出版。
- 組版
- 版を重ねるに従い、ページ数が減る。本の体裁が変わっている。
- 「第4版」の書誌記述は少しずつ違い、差異に注目していくと4種類ある。定価の周りに飾り枠がついている、奥付でなく本文追い込みで刊行情報が書かれている、など。
- 濁点の有無。活字の書体、ひらがなの字体の違いなどから、活字がそもそも違う。
- このように複数の本を比較して、コメントしてくれる人がいるといい。
- アクセスした人自身が追記できる、Wikipedia方式のデータベースがあれば。
- ディスカッション(以下、敬称略)
- 長尾
- データベースの書誌記述を詳細化するについては、文字数の上限等の課題もある。アイテム注記に入れるか。
- その作業の主体は研究者であるべきか、図書館であるべきか。
- 長尾
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- 鈴木
- 記述言語が必要。一定でないといけない。複数版を見て確定することができないから、記述の言葉が多くなる。
- 多くを見て、統一された言語で記述するのであれば文字数は大丈夫だろう。
- 研究者がやって、その成果を図書館に提供するという形で。
- 鈴木
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- 鈴木
- すべての書物について詳しい記述がなくてもいい。研究の対象となるもののみでよい。
- ここに並べた20冊の『二十三年未来記』は、とても同じ本とは思えない。
- たとえば仮表紙で出されたものと、ボール紙の表紙で絵入りのもの。前者は「情報」でしかない扱い、後者は買って読むもの。
- そういった点の違いは、本を買った人にとっては大事なもの。当時の読者の様態がどのようだったか知ることができる。
- 鈴木
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- 中村
- 研究者の研究をどこまで書誌に反映するか。出版史料の、モノとしての側面。
- 中村
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- フロア
- アイテムごとに画像化しておくのでいいのでは。全アイテムを。
- テキストはOCRの技術が進んでいる。そのうち自動化されるだろう。
- 図書館のデータベースに文字数等の制限があるのであれば、たとえばアイテム画像へのURLを飛ばすのでもよい。
- フロア
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- 鈴木
- 出版史料は、どこかで公開している画像につながればよい。
- 鈴木
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- フロア
- 原本を見ることによってそれが分かる、ということがどれだけ周知されているか。発信が大事。
- デジタル化されない資料もある。デジタル化されても原本を見る必要がある。
- フロア
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- 磯部
- 図書館の原簿というのは公文書的なもの。図書館内部をどう説得するか。
- 磯部
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- 鈴木
- 明治のものでも、公文書だと公開しづらいか。
- 鈴木
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- 中村
- 図書館としては、問題なく公開できるものをデジタル化資料として使いたい。
- 中村
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- 長尾
- 千代田図書館ではやっていた。
- 長尾
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- 中村
- 図書館員は公文書をカタロギングできないという問題も。
- 中村
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- フロア
- 図書原簿には寄贈者の名前等が載っていることがある。寄贈したこと自体は良くても、どの本を誰が寄贈したか明るみに出るのは問題になる可能性も。
- フロア
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- フロア
- モノを残すという意味では、表紙絵というのも情報源。図書館ではカバーを捨ててしまうことも多い。
- カバー自体は捨てても、表紙を映像として残すなどできないか。
- フロア
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- 長尾
- 原装のまま残そうという動きは一部にある。
- 長尾
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- 中村
- 図書館はコンテンツのみ保存する方針になりやすい。
- 中村
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- 長尾
- 資料を生み出すのは研究者。
- 長尾
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- 中村
- 研究者の発信あってこそ。
- 中村
ぐだぐだなメモは以上。以下、xiao-2が聞きながら思ったこと。
- 中身ではなくモノとしての本について、図書館のおかれた政治的な環境(長尾氏)、図書館内での扱いに伴い発生する痕跡(磯部氏)、モノならではの側面から読み取れる情報(鈴木氏)とざっくり理解。
- 結局「本」はどこまでが「本」なのか。フロアからカバー保存の話が出ていたが、最近は表紙全体を覆うような幅広の帯をつけて売っている本も多い。また「文庫X*4」のような取り組みもあった。本が読者の手元に届いた時どういう姿をしていたかというのはなかなか面白い問いだが、アーカイブは大変だろうな。
- 一群の異版を並べられてみると、なるほど確かに違う本だと納得する。しかし実際図書館で本を整理する場面では、色々な本がごちゃっとなった状態から情報を入力している訳で、いちいち異版があるかどうか確認するのは相当難しい。明らかに古典籍と呼べるような本は初めから一点もの扱いだし、もっと最近の書物はまあそこそこ同定ができるのだろうけれど、明治あたりは結構エアポケットなのかもしれない。
- デジタル化資料のメタデータをリッチなものにしてほしいという要望。
- これには聞き覚えがある。別の場面*5では、図書館がベンダーに対して出していたもの。その時は結局コストが障壁ということだった。
- デジタル化のコストは下がっていくという意見もあったが、自分はその方面にあまり楽観的でない。技術というものは必要とされればどんどん進んでいくけれど、進化を促すのに充分なだけの淘汰圧*6があるか?言い換えれば、コストが高くても情報量の豊かなデータベースやアーカイブが支持される=生き残りやすい社会状況があるのか?という疑問。
- 支持するの主体は最終的には社会全体なので、誰かしらが「なるほどこれは値打ちがある」と社会に思わしめることが必要。それが図書館のアピールだったり、研究者の成果発信だったりするということなんだろうなぁ。
*1:なお鈴木氏の発表は、本の異版の現物を20冊ずらりと並べ、細かな書誌的差異を紹介していくもの。その場で見て聞く分には面白かったのだが、現物もなく書誌事項を丸写しする訳にもいかないため、このメモでは再現不能でカットした部分が多い。
*3:国文学研究資料館近代書誌・近代画像データベース|二十三年未来記
*4:BookBang「書名を隠した「謎本」がいま売れている!」
*5:2016-07-03シンポジウム「日本の大学図書館員の論じる世界の大学と図書館 〜6/25開催のシンポジウムを振りかえりつつ〜」に行ってきた。
*6:この発想は、最近読んだこの本からの影響。