日本出版学会2016秋季研究発表会ワークショップ「出版史史料と図書館資料をつなぐための方法論」に行ってきた。〜前篇

 こういうのに行ってきた*1

2016年12月3日(土)
日本出版学会 2016年度秋季研究発表会
ワークショップ第2分科会「出版史史料と図書館資料をつなぐための方法論」
登壇者:中村健(大阪市立大学)、長尾宗典(国立国会図書館)、磯部敦(奈良女子大学)、鈴木広光奈良女子大学
http://www.shuppan.jp/yotei/840-20162016123.html

 当日の聴講者は10名くらい。以下はxiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。敬称は「氏」に統一。
 なお、このワークショップは会場の都合で、教室の前後方で第1分科会と第2分科会を同時に開催していた。登壇者をそれぞれ部屋の端におき、聴き手は背中合わせになる恰好。登壇者は前にいるがやや遠く、背後の第1分科会の議論がそれほど変わらない音量で聴こえる*2ものだから、基礎知識と集中力に乏しい自分にとってはかなり辛い状況だった。したがって、普段にもましてメモの精度は低い。幸い著作のある方々だから、そちらを読む方が1024倍くらいためになると思うよ。

  • 司会:中村健氏(大阪市立大学
    • 出版というのは本だけか、それ以外も含むのか。明治期資料の版違い等。
    • これらについて、図書館、研究者双方の意識の違いをとりあげる。
  • 長尾宗典氏(国立国会図書館
    • はじめに
      • 2016年度の発表会でも出版史料のアーカイブについて述べた*3デジタルアーカイブ化の進展により出版研究は進むか、なお生じる問題は何か、ということを述べた。
      • 自分は図書館員だが明治の出版史研究もしている。研究者として史料を集めていくことと、図書館員として利用者へのサービスを行うことの中で、感じるギャップがある。
      • 図書館はアーカイブとしての機能を一定程度期待されている。しかし研究者の理想と図書館員の理想は同じでない。どこかの図書館の蔵書をすべてデジタル化したらそれで研究基盤が整備される、という訳にはいかない。
      • 漱石全集物語」では、現物を見比べ、一冊一冊の本を読み解くことが描かれていた。
    • 図書館はどのように明治期資料にアクセスしているか。明治期の出版物はどのような流れで図書館に入ってきているか。
      • 国立国会図書館納本制度は昭和23年から始まったもの*4
      • その前は内務省からもらっていた。出版法に則り、本を作ると内務省に2冊納める。納められた1冊は内務省が保管。刊行OKとなった場合、もう1冊は帝国図書館へ。現在の国立国会図書館デジタル化資料で「内交」という印のあるものがこれで、内務省交付本。
      • 関東大震災内務省の書庫が焼失。この後、東京市の書庫に委託される。これが今千代田に残る内務省委託本*5
      • 新聞や雑誌については内務省からもらえず、寄贈または購入。
        • これは帝国図書館側の事情。上野図書館は、本来計画されていた建物の一部しか作られていない。書庫が足りず、定期刊行物は廃棄していた。これで内務省に怒られて、くれなくなった。
      • では、どの程度内務省の本が来ていたか。
      • 当時の帝国図書館側は「内務省から当然くるもの」と認識。一方で内務省の担当官が書いたものをみると「くれてやっている」という意識で、2部とも必要と判断したら送っていないことも。
      • また発行後に事情があって発禁になった本は、帝国図書館から内務省へ返却していた。したがって関東大震災前の本は残っていない。
      • 田中稲城は「一国の図書を保存することは国の責任だ」と言っているが、実際にはこうして残っていない実態がある。
      • 帝国図書館の側にも「甲部・乙部・丙部」という本の扱いの違い。甲部は利用に供するもの、乙部は提供しないけれど保存しておくもの、丙部は一定期間の後は廃棄するもの。
      • 結局、当時あった本全体をどの程度復元できるか。いまは日本全国書誌があるが、当時はない。
        • 代わりになりうるのが販売目録。東京書籍出版組合が出しているもの。ただし東京のみ、大阪や京都はなし。
        • 内務省納本月報*6。これは大正以降。
        • 明治39年の書物雑誌『高潮』。内務省に納本された本のリストがあった。約1000件。
        • そのうち現在の国立国会図書館に何冊入っているか、同定してみた。約5割。納本日と違う刊行日の資料をNDLで所蔵している場合も含めると、もう少し率は上がる。改版。
        • 半年で1000件ということは、1年2000件。それだけしか本が出ていないはずがない。内務省の届け出では、3万件近く。
    • 千代田区立図書館には「図書日報」という内務省のリストがある*7内務省で大事にとっておく本。フィルタリング。
      • 何が残っていないか。教科書など。島崎藤村の「破戒」も、現在所蔵しているものは購入したものらしい。
      • 図書館の目録は、利用提供のために作られるもの。
        • 最近、京都府立図書館とカーリルの連携*8で、複数の図書館でばらばらに目録に載っている資料をISBNなどで同定してまとめるという話があった。
        • 図書館としては、バラバラに目録をとったものをまとめていくことを志向する。古典籍や一点ものと反対。
        • FRBR*9。コンピュータ環境下で目録を作るにあたり、バラバラのものをまとめるために作られた。
        • 図書館利用者は、どの版であっても読めればよい。これに対し、明治時代には目録の取り方も定まっておらず、版管理が十分でない。
      • 一方で、図書館から抹殺された本というのもある。発禁本台帳。この場合目録にも残らない。
      • 布川文庫*10
        • 業務でリストを作成したが、作っていて迷いがあった。同じタイトルでも、布川氏から見た違いがある。たとえば『太陽』の同じ巻号のものが2冊あったが、一方は普通の号、もう一方は特製の上製本
        • 出版図書目録というのも一定数入っていた。こういうものはあまり図書資料にならない。
    • 図書館はアーカイブとしての役割を果たしてきたか。どういう性格で集められたかということを考える必要。提供の目的も違う。断片的に残るものを見て、全体を考察。
  • 磯部敦氏(奈良女子大学
    • 出版史料は有限。色々なものを出版史料として使う必要がある。
    • 図書館に関しては、本が入ってきたところから提供までの過程。具体的には、図書原簿を出版史料として使えないかという提案。
      • 奈良女子大学(昔は奈良女子高等師範学校)では、GHQの指示により本を廃棄したことがある。これは別の場所で報告した*11。今回は、図書館の開始直後の話。
      • なぜ図書原簿に注目したか。学校史と公共図書館の交差する部分。
      • 和田万吉は『図書館管理法大綱』で、図書原簿はその館の書籍の歴史を語るものであるとしている。財産台帳。
      • 図書原簿の項目。奈良女子大学図書館の所蔵する昔の図書原簿では、著者名や書名のほか「納人」「門部及番号」などがあった。
      • 明治42年奈良女子高等師範学校が開校してから、明治43年3月までに481点の図書を受け入れた。
        • どの分野の書物を多く入手しているか、グラフ化した。辞書が一番多い。
        • 図書分類はよくわからない。現在残っている代本板などを見ると、上から書いて使用されていたりする。分類については図書館員がまとめた記事などがあるので、それで把握。
      • 納人(寄贈者)に注目。一番多いのが木原近蔵。これは奈良の新刊本屋。豊住繁松という名もある。これも一部新刊を扱っていた本屋。
      • 納人と門部の相関を見てみる。木原はほとんどの分野を扱っていたと分かる。では、何を寄贈していないか?と考える。
      • 図書原簿により、その図書館の所蔵だけでなく、地域の出版の現状も知ることができる。
      • 奈良女子高等師範学校が使っていた図書分類はよくわからないが、独自分類。戦後に図書館員が作成したとされるものを見ると、図書館の思想や、生徒をどう育てていきたいかという考え方を見ることができる。たとえば「倫理」の門部で皇室が最初に来ているなど。
    • 出版史料は本だけではない。たとえば教科書の裏打ちに使われた反故紙が、文書だったりする。私にとっては「こんなところにも史料が」という感じ。
    • 各図書館等のデジタルアーカイブで、新聞に関わる文書を「新聞」で検索して探してみた。店名にたまたま「新聞」と入っているからヒットするケースもあれば、内容としては新聞流通に関する出版史料なのに、「新聞」ではヒットしないものもある。
    • 研究者としては、足を運ぶきっかけとなる情報があるといい。

 というところで、眠くなったので中断。続きは気が向いたら。