「本」を売るひとたち。

 夏は暑さのあまり読書量が激減してたのだが、反動だかして秋になってから急に色々読んでいる。

傷だらけの店長 〜それでもやらねばならない〜

傷だらけの店長 〜それでもやらねばならない〜

 まちの書店の店長さんの話。情熱もやりがいもプロ根性も現場の工夫も、何もかも飲み込んでゆく大きな波。当事者には失礼な言い方になるが、斜陽な状況の中で働くってこういうことなんだなと身を切られる切なさ。もちろん図書館の人にとっても他人事ではない。たぶん色々痛い話が多すぎて、人によっては号泣ものだろう。

客注品が一週間以内に届けば「早い」と思い、一〇日で普通、二週間だと「少しかかったね」という、書店員の、いや出版業界人の感覚は、世間と完全にズレている。(中略)そして客にまで我慢を押しつける態度は、明らかに「不誠実」だ。(p29)

私のような、頑迷な書店員は、もう必要ないのだろうか……そもそも「書店人」が真に必要だった時代などあるのか。それ自体が幻想だったのではないか?(p136)

 ところでこの本の最後の方にちょっとだけ地元の図書館が出てくる。得意先ということもあるが、著者の図書館に対する視線は別に冷たくない。近くにできた大型書店には、火花の出るようなライバル意識を持っているにも関わらず、だ。「図書館で貸すから本が売れない」という単純な構図に当てはまらない何かを感じる。


 傷だらけの店長さんを飲み込んだ大きな波のひとつが、こちら。

電子出版の構図―実体のない書物の行方

電子出版の構図―実体のない書物の行方

 話題が超盛りだくさんなのを無理矢理要約すると、「この12年間電子書籍ブームは起きては廃れ、その都度電子書籍元年と騒がれてきましたね」という感じ。電子書籍と聞くだけで浮足立ってしまいそうな自分も、ちょっと冷静になれる。変わるものもあれば変われないものもある。
 もとは連載もので、当時の状況をなるべくそのまま書いているそう。したがって時系列が章ごとに違うため、最初ついていくのが難しかった。そういや電車男ってもうこんなに前になるのかとか、Amazonで普通にモノ買えるようになったのってどれくらい前だっけとか、この10年の自分の記憶を蘇らせつつ読むのがお勧め。
 あ、図書館の人は以下の個所だけでも読んでおくと耳が痛くていいかも(笑)

(前略)では今から20年後に出版される本の7割以上が電子本だけになるだろうか?電子出版に関して講演する際には、いつもこの長尾予測を紹介し、聴講者に賛同するか問うことにしている。面白いことに講演会の主催団体によって、その比率は極端に変わる。(中略)一番高かったのは理工系大学の情報社会学科の学生であり、誰も手を挙げなかったのが、なんと図書館司書の研修会であった。先ほど述べた通り、図書館に勤務している人の多くは紙の本が大好きな人たちなのである。(中略)図書館情報学の研究者たちが、いくら情報学の中で図書館をとらえ直そうとしても、現場は笛吹けども踊らずである。(p222.「電子書籍の再興隆」)


 さて実体のない書物でなく、思いっきり実体に目を向けてみる。

江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通 (平凡社選書 227)

江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通 (平凡社選書 227)

 打ってかわって江戸時代。モノとして現存している古書、本屋さんの記録を丹念に読み解くことで、当時の名もなき読者と本屋さんの姿をあぶりだす。
 書誌学用語がほいほい出てくるので少々とっつき難いものの、どんなスタイルの本が流行り、どの地域でどれくらい売られたか、読者層はどんな人か。モノに残された情報からこれだけ読み解けるというのはちょっとした感動。

 国家による制度としての教育が比較的速やかに実現できたのは、(中略)学ぶことを当たり前とする大方の意識、教材・参考書を速やかに制作・流通させる書籍業界の能力が、地方を含めて全国的に高い水準を達成していたからであると考えた方が真に近かろう。すでに書籍を通じて何かを得ることが普通の世の中になっていたのである。(p247.あとがき)

 今ある書籍や読者の情報は、後世にどんな形で残っていくんだろう。電子書籍のファイルに残されたメタデータ、主要書店の売上データ、ブログやツイッターの網の目。そういうものを丹念に追いかけて読者の姿を再構成するのが、後世の書誌学者の仕事になるのかな。