火山のふもとで

 こんな本を読んだ。

火山のふもとで

火山のふもとで

 1980年代、主人公は建築設計事務所に勤める若き建築家。自然豊かな山荘で繰り広げられる先生や先輩との人間模様、同僚女性との恋物語…といったストーリーの紹介は、さておく(いきなり肩すかしですみません)。
 この小説の柱の一つは、主人公の勤める建築設計事務所が架空の図書館「国立現代図書館」の建築コンペに関わっていくことだ。「国立現代図書館」のコンセプトは、こんな内容。

国会図書館とは違って開架式を採用し、閲覧室の床面積も広くとる
・レストランや託児室、フィルムセンターの機能を果たす講堂も併設
・資料としての図書の収蔵よりも、一般利用者に広く気軽に入館してもらうことが大前提
・収蔵する本は原則として戦後に出版された書籍とする
・貸し出しはしない

 これに基づいて、登場人物たちが頭をひねって設計を考えていく。この過程が、色々と想像力を刺激されて面白い。


 そもそも建築家が主人公の話なので、図書館以外にも色々な建築が登場する。それらひとつひとつに加えられる説明が、とても丁寧だ。たとえば先生の設計した教会を訪れたシーンでは、こんな感じ。

たとえば椅子は、礼拝で起立するたびに座面をはねあげる必要のない、前後のゆとりが確保されていた。それは背もたれが人の背中のヴォリュームを受けとめるゆるやかな弧を描いているからで、さらにその裏面は、セーラー服の襟のように折り返されて、うしろの席の人の書見台になっていた。目を凝らさないと、背もたれの弧と書見台につなぎ目があるとは気づかない。平面の机がつきだしていないから、ピッチがよけいに広く感じられる。つまり広いと感じるのは実際に奥行きがあるためではなく、椅子のデザインによってもたらされる感覚なのだ。(p61)

 なるほど空間デザインというのはこんなふうになされているのか、と納得。ハコモノというのはしばしば悪口として使われるが、真剣にハコ(=ハードウェア)を作る人は、入れ物が人間にどんな影響を与えるか、こんなに想像して作っているのだ。もちろん当たり前と言えばそうだが、ハコを作る人の視点に触れた気持ちになる。

 そういう視点を持ったところで、建築家たちが自分の図書館プランをプレゼンしていく場面(p98以降)を読む。日頃ユーザもしくは中の人といったソフトウェアの視点から見ている「図書館」を、ハードウェアを作る人の視点にのりうつって見ると新鮮だ。

 もちろんハードウェアを設計することは、必然的にソフトウェアを設計することでもある。

「(中略)…地下の二層を閉架式の収蔵庫として、ここは従来の図書館と同じ収蔵機能を集約的に果たす。地上の三層の一部はショーケースのようなものにして、企画ごとに並べかたを変える。美術館や博物館の学芸員のように、開架式の書架に並ぶ本を展示品と考えて、何をどう選び、どう並べるかは図書館司書が決める。(後略)」
「でも、そういう能力のある図書館司書は限られるでしょうね。彼らは分類、整理、管理のプロだけれど、学芸員的にふるまおうとしても、そもそも職能的に無理があるんじゃないですか」…(中略)…
「であれば当初は外部の人もまじえて図書選定委員会のようなものを組織すればいい。…」(p101)

「企画展ごとに本の並べかたを変えていくというのは、おもしろい提案ですね。コンペでそこまで踏みこむこともあるんでしょうか」
「先生が言っていたように、デザインで説得できるところまで持っていければね。しかし図書選定委員会をつくるには予算が必要だし、コンペでそんな提案をするのは、確かに異例ではある。(後略)」(p109)

 このへんは、賛否いずれにせよ、図書館の中の人が絡んでいきたくなるところじゃないかと思う。実際のコンペでどこまで建築家が運営に踏み込めるのかはよく知らないが、ハードウェアを作る専門家の視点から語られる、理想のソフトウェア像を見るというのはなかなか面白い。


 小説に対しては野暮な読み方ではあるけれども、ここで示されたソフトウェア像をさらに違う視点から検討しなおしてみるのも、思考実験としては楽しい。

 たとえば設置者の視点になれば、建設費と維持費はいくらだろうか。建設には何年かかるだろうか。オリジナルの書架や什器を採用したとして、年数が経って傷んできた時のメンテナンスや買い替えはどうするか。手狭になった場合に増設はできるか。どんな人が、どのくらい利用するか。どんな人を、どのくらい雇えば実現できるか。

 たとえば日々働く人の視点になれば、一定間隔で図書館全体の資料の並びが変わる場合、どうやって管理するか。テーマ企画は何ヶ月ごとに、どのくらいのスケジュールで立てればいいか。図書選定委員会にはどんな人が加わって、意思決定はどういう手順でするか。資料の並べ替え作業にはどのくらい時間がかかるか、その間は休館するかどうか。貸し出しがないのであれば貸出・返却・督促等々の処理は要らないが、レファレンスはどうなるか。

 たとえばユーザの視点になれば、どんな資料がどんなテーマでどう並んでいたらいいか。独りで行くか、カップルで行くか、子ども連れで行くか。何時から何時まで開いていたらいいか。ふらっと書架を眺めに行くときはどんな感じか、逆に読みたい本があるときはどんな感じか。

 ついでにそうやって想像をめぐらしていると、描かれていないハードウェア条件も浮かび上がってくる。たとえば立地。オフィス街なのか、新興住宅地なのか。高齢者が多い土地か、子どもが多い土地か。近くに学校はあるのか、他の図書館はあるのか、書店はあるのか。駅から近いのか、車がないと行けないのか。もちろん小説だからわざとぼかしてあるのだろうが、実際に考えるなら外せない条件だなぁ、なんて気付く。


 この小説で描かれるコンペ案作成の過程にリアリティがあるのかどうかは、心得のない自分にはよく分からない。案を作った後実現するまでには、もっと色々な関係者がかかわってくるだろうが、別にそれが小説の主眼ではないだろうし。
 だが図書館を「つくる」とはどういうことか、ハードウェアから考えるきっかけになった本。


 ところでこのお話に出てくる先生は、1970年代に北海道立大学の付属図書館の建築設計を行い、閲覧室の中心に暖炉のある図書館を作ったとある。モデルあるの?あるの?わくわく。