公立図書館のウラ話

 アメリカの公共図書館と言えば、何はともあれ最先端な場所。そんな思い込みがある。インターネットやSNSの導入が日本よりずっと進み、電子書籍が提供される地域の情報拠点。そこで働く司書は大学院卒以上でないとなれないプロフェッショナル。イメージの由来は、「未来をつくる図書館*1」で示されたニューヨーク公共図書館の姿や、日々のニュースなどだろう。
 けれども公共機関であり、組織である以上、バラ色イメージだけではない現実はしっかり存在している。そんな赤裸々な話が読めるのが、この本。以下は自分の感想。

どうか、お静かに 公立図書館ウラ話

どうか、お静かに 公立図書館ウラ話

  • 「誰にでも開かれている」というのはどういうことか。

 公共図書館には誰でもやってくる。シニアもティーンエイジャーも、話がしたいだけの人も、女性図書館員を口説きたがる人も、不適切な行動や謎の行動をとる人も。対応が難しいというレベルでなく、身の危険を感じるケースさえある。アメリカだけに、薬物や暴力の話も実にカジュアルに(?)登場。
 利用者トラブルの具体的な話は、サービス提供者にとってはタブーだから普通はあまり表面に出てこない。この本で出てくるエピソードを読むと、「誰にでも」開かれているという理念を維持する現場に、どれだけ覚悟が必要かよく分かる。

  • 図書館のサービスって何だろう。

 図書館での飲食は何かと議論になるテーマだ。この本には、図書館でおやつ無料配布やスナック販売を行ったエピソードが載る。小綺麗なプレスリリースと違い、それによるトラブルも書かれる。館内にネズミが出没*2し、本やPCはベタベタになる。図書館員からは抗議、利用者からもクレーム。このあたりの議論は予想どおり。
 が、日本でのこの手の議論であまり見かけない視点が書かれている。それは貧困対策。

僕は指摘した。「こんなことをつづけたら、あの子どもたちは成長しても図書館へ何の敬意も感じないだろうね」
ケイトは少しのあいだ黙って、「知ってる?今日ここから帰って行った子どもたちは何人いたかしらね。その中で何人の子が、あの一袋のポップコーンだけが食事らしい食事だというのは?」(p124)

少しばかりのポップコーンと館内スナックコーナーは、司書とは人々に情報提供をするだけではないということを僕に実感させた。それはつまり、地域に奉仕するということなんだ。地域コミュニティが知識よりも腹を満たす何かが必要なのであれば、その時がスナックコーナーを開く時なのだ。(p142)

 この視点は、読書キャンペーンについて述べた章でもっとあからさまになる。読書キャンペーンとは、子どもが本を読んで、それを記録したカードを持ってくると、ハンバーガーの無料クーポンがもらえるというものだ。当然予想されるとおり、大量にクーポンを欲しがる人が出る。著者はファーストフードの消費を推進することや、それを餌に本を読ませるキャンペーンに疑問を持ちながらも、クーポンを配り続ける。

10人の大家族が来たこともあった。全員が読書記録カードを持っていた。字が読めない赤ん坊まで。全員が食べるに事欠いている様子だった。どういうことか僕にはわかっていた。この記録カードが今夜の夕食だ。(p226)

  • コンピューターを使えない人、使いこなしすぎる人

 電子書籍の話は出てこないが、データベースについて印象的なエピソードがあった。図書館で所蔵していた自動車の整備マニュアルを廃棄し、代りに整備マニュアルの載ったデータベースを契約。その直後の、シニアの常連利用者とのやりとり。

「もっと簡単で、使い勝手がいいものをコンピューターに入れることにしたんです」と説明した。
「使い勝手がいいって、誰に?」
(中略)もしマニュアル本があったら一発だったのに、コンピューターでは四倍もジョンに手助けをしなければならなかった。何が使い勝手がいいだ、笑わせるな。(p380)

 この話にはさらに、データベースは一年もしないうちに外されて、結局その図書館では車の整備のための情報が提供できなくなってしまったという落ちがつく。

 一方で、ティーンエイジャーはコンピュータを使いこなす。図書館側のコントロールはどんどん難しくなる。SNSの一種Myspaceが使用禁止になったいきさつが描かれる。

結局ネットワークの動きが遅くなってしまうので、図書館のコンピューターからMyspaceはアクセスできないようにしたけれど、実はこれは本当の理由ではなかった。Myspaceをブロックした本当の理由は、図書館員全員が怒りまくったからだ。引き金になったのは、一人のティーンエイジャーが、自分のページに少女の乳首ピアスの写真をアップしたのをマネージャーが発見したからだった。些細なことだが、大問題に発展する可能性があった。(p339)

 この後に、著者とティーンエイジャーとのやりとりがある。著者自身Myspaceにアカウントを持ち、SNSを活用して楽しんでいる人であるが、両者の意識の違いを見るにつけ、提供する側の線引きの難しさを思わされる。

  • アメリカの図書館の中の人も、決して素敵とは限らない。

 組織である以上、組織に存在する問題も書かれている。
 たとえば司書になるために修士の資格が必要であることは、アメリカの司書の地位の高さを示すものとしてよく引かれる話。だがこの本では。大学院での講義の面白さとともに、ぐだぐだっぷりが書かれている。

一緒に登録した女性二人とランチをしたとき、大学院を終えたら何をするつもりなのか訊いてみた。すると二人とも声を揃えて、「図書館ページになるの」と言った。最低でも六年間も学業に投資して、最低賃金で本を棚に戻すだけの仕事を夢見ているわけだ。(p106)

 さらに同僚もバラ色ではない。経験は長いが自己中心的な同僚、ドラッグ使用を隠そうともしない後輩、理由は分からないがメンタルヘルスに問題を抱えて職場を去る同僚。そもそも著者自身が勤務時間中のフリーセルにはまった経験を述べたり、「いるだけでちゃんと給料もらう法」なんて章を設けている。真面目な仕事ぶりとはとても言い難い態度…を、少なくとも装っている。

 赤裸々に皮肉っぽく、うんざりする状況を延々と書きながらも、しかし著者はなぜか諦めていない。最後には、あるいは時々、ひとつの信念が顔をのぞかせる。エピソード自体とは必ずしも呼応していないように見えるのは、その都度自分に言い聞かせているのか、悟りみたいなものなのか。
 たとえば、9・11発生直後の混乱について述べた章の最後。

一人ひとりの心の奥には文化を守りたいっていう何かがある。9・11によって迷いつつずっと宙ぶらりんになっていた僕の職業観が一つ変わった。それは図書館にとってもっとも重要なのは地域社会であって、司書ではないということが見えてきたことだ。それがもっとも大切なことなんだ。図書館員と僕らが知識のヒントを差し出す地域市民と両方があって図書館なんだ。この仕事をずっと続けるなら、僕の仕事とは情報を保護することなんかじゃない。それは地域の人々を共に招き入れ、図書館が何のためにあるのかを正しく理解してもらえるように働きかけることなのだ。(p89)

 図書館がどれほどうんざりする仕事か、にも関わらずなぜやるのか、考えてみたい人にお薦めの本。

 ちなみにこのひと、現在は市立図書館と大学図書館で勤務しながら電子出版書籍オフィスを運営しているらしい*3

*1:

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

*2:欧米では、ネズミに対する嫌悪感は日本以上に強いらしい。たぶんゴキブリを思い浮かべるとちょうどいいと思う。

*3:Scott Douglas LaCounte|Linkedin