ノーベル賞受賞者の精子バンク

最近お出かけ記録ばかりだったので、たまには読んだ本のことでも書いてみる。

ノーベル賞受賞者の精子バンク―天才の遺伝子は天才を生んだか (ハヤカワ文庫NF)

ノーベル賞受賞者の精子バンク―天才の遺伝子は天才を生んだか (ハヤカワ文庫NF)

ノーベル賞受賞者限定の精子バンクを作ったら、優秀な子どもが生まれるに違いない!という冗談みたいなアイディアを、なんと実行してしまった富豪がいた。しかもそのバンクはしばらく流行して、実際生まれた子どもがいい歳にまで成長しているという。トンデモ話にしか思えない、でもノンフィクション。
読み始めはげらげら笑った。その後、これが割と近い過去に実際あったことだと気付いて、一転して考え込む。軽いタッチでおもしろく書いてあるけど、重い、重いよこの話。

文中、この精子バンクは「レポジトリー」と呼ばれている。Repositoryはもともと収納庫という意味なんだから当たり前だけれども、最初に学術リポジトリとか機関リポジトリという言葉からこの単語を知った自分としては、あちこちに情報とのアナロジーを勝手に読みとってしまう。ええ妄想ですとも。
たとえば「レポジトリー」の設立された目的は、優秀な遺伝子を広く世に流通させることと、保存すること。保存というのが目的に入っているところが普通の商売と一味違う。そもそもかなり崇高な(善し悪しは別として)目的でもって作られているのだ。

また「レポジトリー」のドナーは匿名。だが顧客としては優秀なドナーを望むからドナーの情報はなるべく詳しく知りたいし、ドナー登録にあたってきちんと審査されている方を望む。さらに時代が下ると、ドナーを匿名でなく登録制にして、人工受精児が自分の遺伝子のルーツを閲覧できるようにする動きが出てきた。一方でそうなるとドナーのなり手が少なくなってしまう。
ここから自分が妄想したのは、たとえばWikipediaやQ&Aサイトのようなボランティアで情報を提供しあうモデル。情報を提供する人の身元が確かで、敷居が高いほど、提供された情報の質は上がる。でもその分提供する人が少なくなり、提供者集めにお金がかかる。実際「レポジトリー」は主にドナーの使命感や気軽さに依存して精子を集めていったが、次第に行き詰まると共にドナーの質も下がっていく。経営の方も顧客からの収入ではやっていけず、富豪が私財をつぎ込んだ挙句に潰れた。
そうか、精子=遺伝子も情報のひとつなんだな、と見当違いな感想を持ったりする。

が、そうは言ってももちろんただの情報ではないから厄介だ。誰のものか分からない遺伝子を受け継いで生まれた生身の人間の苦悩は、出所の不確かな情報を手に入れた人間のモヤモヤとは比べ物にならない。家族って何?「わたし」って何?優れた人間ってどういう人?科学だけで考えては解けない問題に、科学的な方法だけで挑んだひとつの結果だ。


小ネタでちょっと印象に残ったのは、著者が自ら精子ドナーを体験した場面のこのやりとり。

出身大学を訊かれたので「ハーバード」と答えると、彼女は喜んだ。「大学院にも行かれましたか?」私はノーと答えた。彼女は失望したようだった。<中略>彼女は落胆した様子で理由を説明した。フェアファックスには、冗談ではなく「ドクトレート・プログラム」とやらがあるという。割増料金を支払えば、ドクターである人、あるいはその課程を履修中の人の精子が買えるのだ。(第9章、p258)

大学院というキャリアが、少なくとも精子バンクで割増料金を取れるくらいにはきちんと(?)社会的に評価されているのだなぁ。と、先日読んだこの本を思い出してなんとも言えない気持ちになった。

博士漂流時代  「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)

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