自動貸出機について考える。

 以前のエントリで書いたことから派生して、考えてみた。

 よく行く図書館には自動貸出機がある。
 本を借りる時、自分はいつもそちらを利用する。カウンターの図書館員さんに手続きしてもらうのが何となく恥ずかしい、というのもあるし、何より手軽なのだ。
 図書館員はプロなんだから、気にしてないし気にすることない、と頭では分かる。だが、恥ずかしいと思うのはどうしようもないし、避けられる選択肢があるなら避けたい。

 たとえば医者の診察を受ける時を考えてみる。診察というのは裸になったり、日常感覚からするとずいぶん恥ずかしいことをされる。医者は専門家なので恥ずかしがることはないという前提があるから従うわけだけど、いくら専門家だって本来嫌なものは嫌。もし医者とまったく同じ精度で診察できる機械が発明されたとしたら、そっちを選ぶ人も多いだろう。人間じゃない方が嬉しいサービス、というのはある。
 もちろん一方で、ちゃんと血の通った人間の医者の方がいいというニーズも存在する。どちらかというとこちらが困っていて、補足情報なり信頼感なりのサポートが欲しい時じゃないかと思う。通りいっぺんに診察して処方箋書いて欲しいだけの時なら機械の方がいいし、それ以上のものが欲しいなら人間の方がいい。
 自動貸出機の立場も、そのへんにありそうな気がする。


 また、図書館側の業務負担が減るという効果もある。
 上記の図書館では、雰囲気として図書館員さんにものを尋ねやすい。自分も実際訊いてみたことがあるし、他の利用者が話しかけているのもよく見る。なぜかと言うと、カウンターやフロアの人に余裕があるからだ。カウンターが貸出手続きの人で混み合っている時、そこでものを尋ねてみようという度胸はなかなか起きない。
 館内の資料展示なんかにも手がかけられている。新着資料はちゃんと新着コーナーに顔を見せて並べてくれる。しかもそれが割合頻繁に入れ替わる。自分のように節操なくあれこれ食い散らかす癖のある人間は、ついついそれがきっかけで未知のジャンルの本を手に取ったりもする。
 自動貸出機を使うと図書館員と利用者のコミュニケーションが取れない、といった趣旨の意見をどこかで読んだことがある。けれどこの図書館に関して言えば、そんなことはない。図書館員さんを個別認識してはいないけれど、手をかけて素敵な場にしてくれてるな、とは感じる。


 一方、同じ自治体の運営している別の分館には自動貸出機がない。そこにもよく行く。
 こちらでは利用者が職員に話しかけている光景をあんまり見ない。別に愛想は悪くないし、一度質問してみたらとても親切に対応してくれたので、司書さんのやる気がないわけではない。ただ、誰もカウンターで質問していない。だから「ものを訊いていい場所である」という気がしない。
 新着図書のコーナーもあるけれど、体感としてあまり入れ替わらない。一ヶ月くらい前に見たのと同じ本が、ずーっと並んでいたりする。
 もしこの違いが自動貸出機の存在、そこから生まれる職員のゆとりにあるとしたら。もちろん、いち利用者の自分としてはゆとりのある図書館の方が嬉しい。


 とは言え。


 自動貸出機のコストはそれなりにかかるだろう。そして行政の論理からすると、機械導入にコストをかける以上「職員にゆとり→きめ細かいサービス」ではなくて、「職員にゆとり→人員削減オッケー」という結論に至ることはとても明らか。
 そこをなんとかできないものか。