連続セミナー「みんなでつくる・ネットワーク時代の図書館の自由」プレ企画★トークセッションに行ってきた。〜前篇

 今年初めてのイベントレポート。

「プレ企画★トークセッション 図書館の自由の「理念」と「現実」?−伝家の宝刀を研ぐことは可能か−」
出演:岡部 晋典 氏(同志社大学 学習支援・教育開発センター 助教
   岡本 真 氏(アカデミック・リソース・ガイド株式会社)
   西河内 靖泰 氏(滋賀県多賀町立図書館)
司会:南 亮一氏(国立国会図書館関西館
http://www.jla.or.jp/portals/0/html/jiyu/seminar2013.html

 「図書館の自由に関する宣言」がテーマの催し。
 それ何?と思った方のために(と、そういや何だっけ?と思った自分のために)、辞典の説明を引用しておく。

図書館の自由に関する宣言:図書館および図書館員の知的自由に関する基本的立場とその決意を表明した、1954(昭和29)年の日本図書館協会全国大会において採択された宣言。1979(昭和54)年に改定された(後略)*1
※さらに詳しくは、日本図書館協会のホームページ:図書館の自由に関する宣言参照。

 以下、例によってxiao-2が聞き取れて理解できてメモできてなおかつ覚えていた範囲のレポート。敬称略、項目立ては適当。頭の整理がついていかず、間違って解釈した点や議論をすっとばした点があるかもしれない。正確に知りたい方は当日の参加者のTogetterを読んだ方がためになると思う。

  • 導入
    • 司会*2
      • 図書館の自由に関する宣言*3について、現実と乖離しているという指摘がなされている。今回主な話題としたいのは、自由宣言の第3項「図書館は利用者の秘密を守る」について。これを受けて、1984年に「貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準*4」が日本図書館協会で議決されている。この中で貸出記録の破棄が定められている。
      • こういう方法で自由宣言を実現しようとしてきたが、一方で現在は記録を活用した様々なサービスの可能性が出されている。自由宣言のあり方を考え直していく必要があるのではないか。
      • 最近、自由宣言のあり方を論じたエッセイ*5を書かれた岡部先生に、最初に問題提起していただく。
  • 岡部先生による発表
    • 導入と自己紹介
      • まずはお礼。エッセイを多くの人に読んでもらえたことについて。また日本図書館協会や、あちこちの図書館で実地調査をさせてもらえたことについて。また、エッセイを掲載してくれた編集の人に。
      • 自己紹介。筑波大学を修了後、複数の大学を経て、現在は同志社大学でラーニング・コモンズ*6の担当をしている。各地の図書館を巡ったり、インタビューして回るのが趣味。
      • なぜラーニングコモンズか。図書館の人たちと接して、レファレンスなどではその人たちに敵わないと思った。自分は研究者と図書館員の間のような立ち位置、両者をつなぐことをしたい。
    • 自由宣言について論じる理由
      • 学生の頃に図書館の自由宣言を初めて知ったとき、すごくカッコいいと思った。だが、他の領域の知人に語ると「かっこよすぎてフィクションみたい」と言われる。知られていなさすぎる。
      • 図書館の自由について話す研究者は多くない。デリケートで触れにくい問題。しがらみがなく自由な若手研究者として、語ってみようと思った。
      • また、自由宣言成立の過程を調べてみると、自分と同年代くらいの若手がリードしていたと分かった。これも理由。
      • 各地の図書館員に話を聞きにいくと、カッコいい理念と現実の狭間で悩んでいる。自分がお世話になったそういう図書館員に、何かを返していきたい。
    • 自由宣言の成立周辺
      • 図書館員にとっては常識で、カッコ良さに気づかない。一方、それ以外の人にとっては、フィクションだと思われるほど知られていなかったり、内向きの議論であるという印象を持たれていたりする。
      • 日本図書館協会で昔の資料を漁ったところ、成立当時の「図書館雑誌(())」が出てきた。その投稿欄では色々な議論がやりとりされている。ちょうど現在我々がSNSでやっているような感じ。戦後直後の高揚した空気を感じる。
      • 1952年の投書で、貸出履歴の扱いに関する話題が出た*7。思想問題についての議論の中で触れたもので、貸出履歴は見せるべきではないと主張している。破防法*8に言及していたのが印象的。
      • その少し後の図書館雑誌で、貸出履歴の消去の話が論じられた*9。意外なことに、元々は冗談のようなニュアンスで「破棄してしまえば、誰が来ても見せることはできない」と書かれていた。
    • 現在生じている乖離
      • これらの議論では、利用者の秘密を守るということを公権力への反対という姿勢でとらえていた。しかし現在では、テクノロジーの進歩によりこの認識に齟齬が生じている。
      • 公権力というと、オーウェルの小説「1984*10」で登場するBig Brotherのイメージだった。これがLittle Sisterに変わりつつあるという指摘がなされている。権力による一望監視から、我々自身による監視。主体がシフトしている。たとえばTwitterで炎上すると、権力ではなく我々自身から、批判されたり身元を特定してばらされたりする。
      • ビッグデータとのすり合わせという観点もある。
      • 今年から司書養成課程に「図書館情報技術論」が加わった。だが教えられている内容はまちまち。人によってはクラウドSaaSなどにも触れている。そうした技術の話と、図書館概論とがつながっていない。
    • 問題意識
      • 一方で、個人情報を出さない貸出履歴の活用がなぜいけないのかという疑問もある。以前成田市立図書館*11のシステムで、マイページという機能が実装された。ユーザが自分の読んできた本を登録できるシステム。図書館側で非常に配慮して、個人情報とつなげないようにしている*12。それでも貸出履歴を保存するのはけしからんと批判された。
      • また、自由宣言の思想と実際の現場の話とがかみ合っていないという問題もある。自由宣言を守るのか、自由宣言が対象としているものを守るのか。たとえば自由宣言の「公平な資料選択をする」といった崇高な理念がある。意見が分かれる問題については両方の立場の資料を入れるなど*13。しかし現実問題として、たとえば原発事故の後、原発関連本を肯定する本が手に入るのか。地元の図書館は苦悩している。
      • 前掲のエッセイではこうした問題を提起した。叩かれると思っていたら、図書館関係者からも意外に好意的な反応。多くの人が以前から疑問を持っていたのかもしれない。
    • なすべきこと
      • 理念と現実のすり合わせが必要。ただ自由宣言についての議論は、理念と運用と現実のレイヤーが錯綜して、機能不全に陥っている。これを切り分けないと生産的な議論ができない。研究者として、問題を可視化したい。
      • 自由宣言を盾に新しい提案を受け入れない姿勢は、イノベーションを阻害する。その裏には新しいテクノロジーを解りたくない、解ろうとしないという知的怠慢があるのではないか。
      • 一律に駄目というのではなく、そのテクノロジーのどの部分が、守らなければならないコアに触れるかという観点で考えるべき。情報収集のためにも、ギークと近い距離を保っておくとよい。敵と味方に二分するのは不幸せ。
      • 自由宣言の最後の文に「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る」とある。成立過程を見ると、「団結」の意味していたところは、関係団体との連携だった。むしろ今の時代に、この姿勢はより必要かもしれない。せっかく他分野の人に、図書館の自由が知られたのだから。
  • 以後、討議
    • フロア
      • 成立当時の宣言の「団結」では、連携先としてどんな諸団体を想定していたのか?
    • 岡部
      • 現在MLA連携と言われているような博物館・文書館などではなさそう。
    • フロア
      • 時代的に学生運動・安保運動などの組織論とかぶるのでは。いまの時代の自由宣言で想定しているものとは違うかも。
    • 岡部
      • 確かに図書館雑誌でも「教育運動」という目次*14を立てていたりして、そちらの方向を意識していることは感じられる。
    • フロア
      • 自分は門外漢だが、個人的な体験から。図書館で本を借りて返した後、もう一度借りたいがタイトル等を忘れてしまった。図書館員に聞いたが、履歴は消してしまうので分からないと言われた。自分が借りた本を知りたいというユーザ自身のニーズをどう考えるか?
    • 岡部
      • ログがすべて見られるのはまずいと思う。
      • マイページのように、IDとパスワードでユーザが自ら登録する方式が一番よい。ユーザ自身だけで完結できる。
    • フロア
      • いまの世の中では、図書館で借りた本の履歴よりもTwitterの投稿履歴の方がよほど個人情報なのでは。その意味では、図書館だけが守るべきものなのか。
    • 岡部
      • 確かにTwitterアカウントがばれる方が怖い。だが、よそがこうだからそれに合わせてよい、とはいえないのでは。
    • 岡本
      • 本人の自由意志というのがポイント。
      • TwitterFacebookに載せるものは本人の意志で公開している。自分も大学の授業で学生にSNSを使わせることがあるが、不適切なことを投稿しないよう注意している。それでも投稿するものは自由意志による。ただし実際どのくらい自覚しているかという問題はあるが。
      • これに対して公共図書館というのは、他に情報を得る手段を持たない人にとって最後の選択肢になりうる場所。自由意志で投稿するものとは扱いは違っているべきだろう。
    • 西河内
      • 個人の責任で公開するのは自業自得とはいえる。
      • 自分は昔役所で勤めてきたので知っているが、当時の情報セキュリティは非常にずさんだった。そんな実態を知る者としては、宣言を掲げただけでも画期的といえる。
    • フロア
      • また個人的な体験から。公立図書館で本の予約をしたら、届いたという連絡が電話であった。電話に出た父親に本のタイトルを伝言されたのだが、それは父親にあまり知られたくない種類の本だったため、気まずい思いをした。
    • フロア(事務局の人?)
      • さきほどの発表を聞いていて、宣言が成立した後で見ているから疑問を持たれている面があるように思った。自分の年だと、理念としては意識されているが、普及していないという実態も見てきている。
      • 自由宣言が現場でどのくらい認識されているか。現場の図書館員の中でも認識に落差がある。また、図書館としては守ろうとしているけれど、本庁に押し切られるといった役所との落差もある。
      • 理念だけの話をすると、うまくいかない。エッセイのタイトルに「錆び始めてきた伝家の宝刀」とあったが、実態レベルではそもそも錆びている。
      • 自由宣言自体が1954年に成立した後、1967年まで使われなかった。1967年に練馬で、ドラマの中で図書館員が貸出履歴を簡単に刑事に教えるといった描写があった。モデルになった図書館側がこれに抗議したという事件があった。
      • 60年代は、世の中で差別用語に関する指摘が厳しくなった時期でもあった。また市民の図書館が動き出すのも60年代後半。その中で色々な事件があり、自由宣言をもっときちんと使っていこうという話になった。それで70年に図書館の自由委員会ができ、1979年に自由宣言が改訂された。
      • 現に伝家の宝刀は錆びている。どう錆びているかという現状を考えていく必要がある。一方で図書館システムのクラウド化といった技術面の進歩がある。その中で、1954年に成立した宣言をどれだけ使えるか。
      • 図書館の自由委員会の人の認識もばらばら。Librahack事件*15の時「あれはシステムの問題だから図書館の自由とは関係ない」という認識の委員もいた。
    • 岡部
      • では、どのレイヤーでの議論をしていくか。はっきりさせないと、自分も他人も分からない。外部に説明できない。

 ここで休憩。…眠くなったので、レポートもいったんここまで。

*1:出典:日本図書館情報学会用語辞典編集委員会 編. 図書館情報学用語辞典. 第2版

*2:この部分、実際には司会の方はもっと丁寧な説明をされたのだが、メモが間に合わなかったため大幅に省略している。

*3:長いので、以下「自由宣言」

*4:日本図書館協会ホームページ:貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準

*5:●エッセイ●岡部晋典「錆びはじめてきた、図書館の伝家の宝刀を研ぐことは可能か」【リポート笠間53号・掲載】

*6:参考:同志社大学ホームページ:ラーニング・コモンズ

*7:Vol.46 No8(1952)「自由論壇」

*8:Wikipedia:破壊活動防止法

*9:Vol.46 No.10(1952)「閲覧証をめぐる問題の解答」

*10:Wikipedia:1984年(小説)

*11:成田市立図書館ホームページ

*12:配慮っぷりも含めた調達過程については、成田市立図書館の中の人が以前発表されていた。参考:「図書館システムの調達の方法と課題」

*13:この一文、文脈からxiao-2が勝手に補った。

*14:こう聞こえたが、「特集」の意?

*15:この事件については、日本図書館研究会では何度か言及されている。過去の記事「第277回日本図書館研究会 研究例会「岡崎市立図書館Librahack事件から見えてきたもの」に行ってきた。」を参照。