「現場」はどこにある?

 新しい年度の始まり。図書館員の知人数名からも、異動のご挨拶がちらほらと。
 ご挨拶のやりとりの中で、ふと気になったことがある。ユーザとの直接応対があったり、資料を直接触ったり整理したりする、特にカウンター業務のある部署に異動した人について、周囲の人や時には本人が「現場に行った/戻った」と評することがある。
 この言い方が、かねがね自分にはなんとなく気になっていた。別に悪い言葉じゃないし、というか自分も他にしっくりくる言い方は浮かばないのだけれど、でもなんとなく引っかかる。なぜだろう?と考えてみた。

  • 理由その1:カウンターでなくても、そこは現場だと思う。

 カウンターに出ない部署の人が何をしているかというと、たとえば予算獲得のために交渉したり、働く人のお給料の手続きをしたり、ステークホルダーとの調整のために会議をやったり、仕様書を読んだり書いたり、Webコンテンツをこつこつ作ったり、情報発信したり、一例を挙げればそんなことをしているだろう。
 「現場」という言葉は、暗黙のうちにそういう仕事を「現場以外」とくくって、どこか図書館の本分でないことをしているというイメージで見ているように感じる。確かに、そういう業務は図書館以外の組織でも必要なものだから、図書館ならではの仕事とは言えないかもしれない。しかし、そういった基盤があってこそ図書館サービスは成立している。
 カウンターの人が失敗すればユーザは不満に思う。同じように、そういった基盤の業務が失敗すれば、サービスの仕組み自体が失敗する訳で、不満どころかユーザが存在しなくなったりする*1。下手するとその失敗は個々のメンバーでカバーしきれない。している仕事は違っても、そういう「現場」があることは、お互いに意識していた方が幸せな関係になれると思う。

  • 理由その2:カウンターであっても、そこは現場じゃないと思う。

 もうひとつは、図書館の中の人にとってカウンターやフロアが現場であったとしても、ユーザにとっては違う、ということだ。
 ユーザは当然ながら、図書館の外で9割以上の人生を生きている。その人にとっての現場は、職場でのプレゼンかもしれないし、論文執筆かもしれないし、子どものしつけかもしれないし、畑仕事かもしれない。
 そして図書館の中の人は、その「現場」のことはユーザほど分かっていない。学会発表したことのある図書館員だけが大学図書館員になっている訳ではなく、会社を立ち上げたことのある図書館員だけがビジネス支援をやっている訳でもない。図書館の人がそういう経験を勉強して得ようとするのは大事なことだし、経験を持っている人は大いに生かせばいいけれど、基本的には「現場ではない」横っちょから手助けするしかない。
 主人公はユーザで、現場はその人の人生。図書館が「現場」だという思いが強くなりすぎると、そういう視点から遠ざかるような気がする。


 「事件は現場で起こってるんだ」。それは言い換えると「事件が起きるところならどこでも現場だ」。会議室でも、サーバ室でも、もちろんカウンターでも日々事件は起き、そして解決しようと頑張っている人がいる。
 あらゆる現場で働く人たちに、誇りと幸あれ。

*1:サービスはいいのに広報が弱くて知名度が上がらない、とか。