連続セミナー「みんなでつくる・ネットワーク時代の図書館の自由」プレ企画★トークセッションに行ってきた。〜後篇
前の記事の続き。なお特に後半では、会場や事務局からの発言がかなり多かった。ひとまずパネリスト以外は全員「フロア」と表記している。
- 再び討議
- 西河内
- 自分が図書館業界に入ったのは25年前。当時は予約した資料のタイトルを家族に伝えてはいけないといったことを知らなかった。やってしまった後、利用者にクレームを受けて悪いことだと理解した。
- 図書館業界に入る前から自由宣言については知ってはいたが、実務の中では図書館員側もそういう訓練を受けていない。資料のタイトルを言ってはいけない、貸出記録を残してはいけないといったことは、言われて初めて納得した。それも先輩に教えられたのではなく、利用者に言われた。ユーザの意見で変わってきたこと。
- 司会
- 自由宣言がなくても、守るべきものは守っているということか。
- 西河内
- 自由宣言という原則と、実際の仕事をつなげる意識が希薄なのではないか。掲げられた精神と現実の関わりを、現実にぶつかりながら考えて学んでいく。この過程が図書館員として生きること。
- 司会
- では司書教育の中で自由宣言を教えることは無意味?
- 西河内
- 理念は伝えてもらわないと困る。それを現場で正しく使えなくてはいけないという話。図書館サービス概論の部分と、自由宣言との関わりを伝えていかないと。
- フロア
- 20年くらい前、大学図書館では図書の貸出を本についたカードで管理していて、前に借りた人が分かるようになっていた。「あの先生はこんなに本を読んでいる」と学生の間で話題になったりした。カードがなくなったのは、自由宣言を意識したからなのか、単にシステム化されたからなのか。
- フロア
- 司会
- フロア
- 大学はまちまち。自分の受けた司書講座では、3つくらいの科目で自由宣言の話をしていた。当時の先生はくどいくらい教えてくれた。
- フロア
- 岡本
- 司会
- 組織としての目標達成のために、手段が変わるということか。イギリスでの実施例とはどのようなもの?
- 岡本
- 成績の良い学生がどんな本を読んでいるか調べて、それを課題図書に指定することによって全体の成績を上げようとしたもの*2。
- 岡部
- ちょうど本日の参加者の中に、ウェブサーバ上で誰がどういうものを読んでいるかといったことの分析で博士論文を書いた研究者がいる。彼にコメントを求めてみたい。
- フロア(指名された人)
- 自分の研究は、図書館の作ったウェブサーバのアクセスログを分析するもの。アクセスログは、通常はユーザ個人を特定することはできない情報だと言われている。
- 実際のところ、ログのパターンをよく見るとおおよそ見当がついてしまうことはある。だがそこまで消せということになったら、ウェブサーバを管理することができなくなる。
- アクセスログを活用して、たとえば「このコンテンツはもっとアクセスされてもいいのになぜ伸びていないのか、情報がユーザに届いていないのでは」といったように、「あるべきパターン」との差分でボトルネックを発見することができる。また、ターゲット層を特定することにも使える。ログを残して活用することにはそうした意義がある。
- もちろんそういったデータを外部に漏らしたら問題だが、それは残していようといまいといけないこと。「データを消せば大丈夫」というのは、逆に言うと守ることを放棄してしまっているように思える。
- 分析をする側としては、ユーザ個人を特定することには興味がない。匿名化が必要なら匿名化してくれればいい。どのくらい匿名化すれば、分析に有益でしかも個人特定ができないデータになるのか。
- フロア(事務局の人?)
- プライバシーの問題は微妙で、特定されなくてもやはりユーザは抵抗を感じるという面がある。イギリスの例を挙げておられたが、オーストラリアでも同様の活用例がある*3。その場合も対象者の許諾を得てデータ処理していた。
- 一方、ある程度処理されたデータでも、プロの手にかかれば特定もできてしまう。両方のバランスが必要。
- とは言え、これまで図書館員はそういった問題への関心が薄かった。システムのことは分からない、知らないといった人が大多数。自由宣言が形骸化してしまっている。その状況の中で、まず考える必要がある。
- 西河内
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- 司会
- 何をどこまで保護すれば安心か、という基準が広がっていないのでは。
- 岡部
- LINEもFacebookもそうだが、便利なサービスの代償として、自分の情報を流される危険がある。自分が気をつけていても、他人に勝手に流される可能性がある。そうしたやり方が一般化しつつあるのは間違いない。
- 否応なく紐付けされるシステムが台頭しつつある中で、いつまでも古い前提での議論をしていていいのか。むしろその中で、自己の意思で紐付けを切っていく方法を考えるべき。
- 岡本
- 司会
- 岡本さんは自己選択ということに重きを置いているようだが。
- 岡本
- 貸出履歴に関しては、この6年くらい議論してきていて、自分としては少々飽きてもいるほど。ただその中でも、ユーザ自身の拒否権を否定したことは一度もない。
- 同調圧力によって選択が封じられる場合がある。最近だと「イノベーション」という言葉がそういう使われ方をすることがある。
- 新しい試みを拒否しようとすると、それはイノベーションを阻害するものだと批判される。本来イノベーションとは、そう簡単にできるものではない。にも関わらずこの言葉には麻薬的効果があって、反対を封じるのに使われてしまう。
- 新しい試みに反対する人に対しては、「イノベーション」という語を使わずに説得することが必要。代わりに自分がよく使うのが「クリエイティブ」という語。言葉だけの問題に聞こえるかもしれないが。「○○でイノベーションを起こす」という主張に対しては、「○○によってどんなクリエイティブなことができるのか」と問うと、生産的な議論ができる。
- 司会
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- 司会
- 自己選択のためには、情報開示がないと正しく判断ができない。そこまでの情報は開示されているか。
- 岡本
- それを問うと理念の問題に立ち返る。図書館は何のためにあるかという理念。ビジョンは明確にあるが、それを実現するためのミッション・ストラテジーが明確でない。
- 自分たちのビジョンを大切だと思うなら、発信する必要がある。戦略ならば当然情報発信が必要。
- Web企業の場合、ユーザの情報を収集することは必須。だが同時に、情報収集していることをユーザに理解されるための努力が欠かせない。規約を明示し、ユーザにとって何らかのリスクを伴う行為をさせる場合にはIDとパスワードを求め、さらに条件に同意する画面を出すといったことがある。
- これに対して図書館の場合、自由宣言というビジョンのみが定められ、それを戦略にする方法とリンクしていない。
- 司会
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- 岡部
- 西河内
- 岡部
- その齟齬はどこから生まれたのだろうか。
- 西河内
- マスコミや業界内に流れていく時に変わってしまう。伝言ゲーム。
- 岡部
- 受け止められ方について無自覚であるのかもしれない。
- 岡本
- 以前専門図書館協議会で話した時、フィクションの中で「社史編纂室に飛ばされた」という表現が出てきたことに参加者が文句を言っていた。自分としては、それなら社史編纂室に行った主人公が活躍する面白いストーリーを作ればいいと思う。
- 図書館の側も、そういったロビー活動、アドヴォカシー運動が必要。その気になればきちんとやっていくことは簡単。
- ロビー活動の枠にきちんと落としこまないと、今はただ理念だけぺたっと張ってある。実際に起こる問題をどう解釈し、世に訴えるべく組織化していくか。
- フィクションの中、たとえば「夜明けの図書館*5」で、自由宣言が好意的な文脈で登場したら、どれほど効果的か。自ら台本を作っていくといい。今はフィクションもリアリティ追求型だから、受けるかもしれない。
- 西河内
- 自分としてはそのようにしてきたつもりだが、歪んで伝わってしまっている。
- 自由宣言は、伝家の宝刀というよりは水戸黄門の印籠。伝家の宝刀は抜かないことに意味がある。これを出したら後がない、そういうもの。
- 錆びた宝刀と言われたが、それでもスローガンが拠り所になる場合がある。スローガンがあっても軟弱な面があることは否めないが、それでも支えになってきた。錆びていても、存在したことに意味がある。
- 岡部
- むしろ伝家の宝刀を抜き過ぎ、というのが自分の意見。何かトラブルがある度に自由宣言が持ち出される。逆に言えば、トラブルに対してそれしか持ってくるものがないというのはどうなのか。
- またスローガンと仰ったが、スローガンを掲げて何かしている「運動」という印象を知らない人に与え、なんとなく怖いものと思われる原因なのでは。
- 西河内
- 政治的な立場も、自由宣言への意見も、色々あっていい。その意味で、自由宣言を出すと印籠のように皆が黙ってしまうという状況になっているのは残念。もっと考えよう、という問題提起のつもりでいる。
- 岡本
- 「都市伝説」になってしまわないためには、図書館の自由委員会の人達がもっと情報発信すべき。西河内さんにTwitterをお薦めする。
- テクノロジーに対する理解が必要。理念を戦略につなげるのが、司書課程でいう図書館情報技術論。司書は徹底的に理解すべき。
- だが懸念しているのは、教科書は変わっても、司書課程を教えている講師の方は変わっていないということ。現在、図書館の現場にいる司書が情報技術に明るくない状況がある。それを作り出してきたのは現在の教育者であるはずで、その人が変わらなければ変わらない。
- 別の見方もある。自分もとある大学の司書課程で教えているが、技術論の1コマを使って「図書館はいかにすごいか」という話をしている。
- というのは、Ciniiの生みの親である大向一輝さん*6の言葉だが、「図書館はWebの親」。検索システムの元になったインデックスの考え方しかり、論文の被引用関係から作られたGoogleのページランクしかり。Webが確立する過程で、図書館の考え方や技術が生かされてきた。それにも関わらず、何故図書館側には抵抗感があるのか。
- プログラムができなくてもWebサービスは作れる。やり方によっては、数学の知識さえなくてもいい。論理的思考能力があれば作れる。難しいことではない。プロフェッショナルとして、身につけるべき。
- 岡部
- データベースの考え方は図書館の目録を元にしているのに、データベースを作ったのは図書館ではなく情報工学。いつも外から黒船が来る。
- フロア
- 事務局の人?
- 今年の秋に改訂案を出すというのではなく、秋までに論点整理をする。まずは我々が基礎知識を身につけなくてはいけない。
- フロア(事務局の人?)
レポートは以上。
もやっと感想。議論があっちこっちに行って、ついていくのが大変だった。それだけたくさんの課題があるということでもあるし、小手先の問題でなく「理念」に当たるものをいじるのはそれだけ難しい作業だということでもあろう。事務局の方は秋までに論点整理をすると言われていたが、本当にまとまるのだろうか、と思わず遠い目になってしまう。
だが、最後に発言された事務局の方の「時間がかかっても自分たちで考えなくてはいけない」という言葉に、背筋が伸びる思い。業務は外注しても、理念を外注することはできない。自分ごととして考えながら、引き続き注目。
*2:この話、出典は何だろう。
*3:これも出典知りたい。
*4:「耳をすませば」では貸出記録の残るブックカードが出会いのきっかけとなるという設定が、「相棒」では捜査で訪れた刑事に図書館員が利用者の情報を簡単に話すという場面が、それぞれ問題になった。
*5:図書館のレファレンスをテーマにした漫画。
*6:大向一輝 - ReaD & Researchmap
*7:未読だがこちらの記事か。米田 渉. 北から南から 「図書館の自由に関する宣言」についての提言. 図書館雑誌.. 105(7) (通号 1052) 2011.7