その1、その2、その3、その4の続き。以下はxiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。項目立ては適当。敬称は「氏」に統一。誤記・誤解ご容赦。特にディスカッションはメモが追い付かなかったので、議論がかみ合ってないように見えるところはおおむねxiao-2の腕のせい。
最後は質疑応答で、登壇者*1が全員前に並ぶ。登壇者以外からの発言はすべて「フロア」としている。
- フロア
- 安岡先生の話で「画像をばらまく」と言っていた。たとえば東方学デジタル図書館に掲載されているデジタル画像をとってきて、ORCASのサイトに載せるといった使い方をしてもいいのか。
- 安岡氏
- 司会*3
- 日本の図書館は、なかなかその段階まで行っていない。
- 永井氏
- 上原氏
- 東京大学の場合、CC-BYにしているのは総合図書館のみ。他の部局はまた違う方針。
- 司会
- 中国だと画像に透かしが入る。デジタル画像DBでも、紙焼きでもそう。逆に他の国のものは、中国の人はけっこうフリーに使うのだが。
- フロア
- 永井氏
- U-PARLの配架について言えば、自分の着任時にはすでに配架が決まっていた。NDC別ではなく、現地語が固まっている空間を作る、その棚に行けば自分の専門の地域に関する資料がすべて見られるという思想。
- デジタル化は粒度がポイント。文字、画像、形態素解析など。細かいデータが揃っている所では、そういう研究が発展する。
- マクヴェイ氏
- 研究者にとってのアクセスという話題に関連して。北米のライブラリアンにとっては、日本の情報と、中国やコリア等の情報でアクセスのしやすさが違うという現状がある。後者の方がアクセスしやすい。アクセス難易度の違いは、研究傾向や生産性に影響する。
- 分類や配架について。自分の図書館では、ユーザは自由にキーワードでアクセスするので、物理的配架があまり関係ないという状況がある。
- 安岡氏
- 研究者の行動に関しては割とコンサバティブな姿勢でいる。影響を与えるというより、実際の研究者の行動を見て、そういう使い方ができるように設計している。
- kanripoの方は、作った人の思想が割と現れている。漢文の解析も、作った研究者の考え方に影響されている。たとえば形容詞の扱い等。
- 菊池氏
- 上原氏
- フロア
- 安岡氏
- それはある。京都大学の場合、より劣化の激しい資料からデジタル化を行っている。どうしても必要があれば原本を見せられなくはないが。
- 菊池氏
- 上原氏
- 当館も基本は同様。研究者で、どうしても必要がある場合は見せる。
- その問題がより進んでいるのが中国。中国国家図書館では、デジタル化はするがその画像は館内閲覧のみで、かつ原本は出さない。ある程度はやむを得ない、持っている人が一番強いという面はある。
- マクヴェイ氏
- 原本を所蔵していて、その状態が良ければ、図書館というのは基本的に見せたいもの。
- 美術館だとまた違うのかもしれない。原本の保存も大事で、修復と利用のバランスは常に難しい。
- 司会
- 昔、ハーバード大学のワイドナー記念図書館に行ったとき、かなりヤバい状態の本でも見せてくれるのに驚いたことがある。
- フロア
- 菊池氏
- 地域の図書館等が持っている資料をデジタル化すること等を検討。結局お金の問題で、地域では予算が無いためにデジタル化できない所がある。
- 一方で、自分の経験として、海外の日本研究司書から「大阪のこの機関が所蔵している資料の画像がほしい」と相談されるようなこともあった。
- 司会
- 図書館について言えば、欧米と違ってlibrarianが日本にはいない。アジア研究図書館のように、「研究」を図書館がやるということがなかなか難しい。subject librarianでない。
- アジア系の図書館は、香港以外はだいたい同じ状況。
- フロア
- 配架について。本の原本は図書館に入れておいて、利用者が自分で配架を工夫できるというのがデジタル化のメリット。
- 四庫全書の校訂に過去関わった時の経験だが、誤りにも、機械的なミスタイプと、読み込まなければ分からない誤りがある。その違いをどう生かすか。注釈をどう本文に組み込むか。注釈というのは東洋的な文化でもある。古注と新注の違いなど、どう文字化するか。
- 安岡氏
- 自分のところのDB*6でいうと、注記の機能はDB外にある。理由は、本文の外に書くことができるから。
- 仕組みとしては作ったけれど、まだ動いていない。注記の文化がDBに移ってくるかどうか。
以下、まだもう少し発言が出たが、メモはここまで。
以下は感想というか、xiao-2が聴きながら思ってメモしてたこと。もう眠いので意味不明かも。
- デジタルアーカイブの話を聞くと、真っ先にユーザ像を想像する。平たく言えば「それはどういうユーザがどう喜ぶものか」という問い。
- デジタル化により「越境」が本当に起きうるとしたら、その一番の影響は、予想外のユーザ層や予想外な使われ方の出現という形で現れるだろう。予想外のユーザの振る舞いを観測するためには、どんな反応があったかをモニタリングするより他ない。
- 予想外のユーザの中には、研究者以外の人というのもある。となると、今更だが「研究者」「研究」の定義とは何だろう。研究機関への所属有無という基準でよいのか、他にありうるのか。
- 質疑の、DBや図書館等のデザインが研究者の行動をデザインするという指摘が印象的だった。
- 研究者が自分たちの研究行動に一番ぴったりするDBを作ると、当然プロ仕様で特殊化したものになるだろう。個々のDBはそういうものにしておいて、一般人は外部のポータルから画像だけ見るという傾向に今後なっていくのか、どうか。
- 作る側としての研究者/使う側としての研究者/作る側としての図書館/使う側としての図書館。この関係。
*1:2018-08-13 KU-ORCAS講演会「(東)アジア研究×図書館×デジタルヒューマニティーズ」に行ってきた。〜その1」を参照。
*3:先生っぽい感じの方だったが、自分は存じ上げず、レジュメ等ではお名前が分からなかった。教えて偉い人。→2018/09/01追記:コメント欄にてご教示あり。
*4:クレジット表示のみ条件とし、自由に使用可。詳細はこちら。Creative Commons - CC-BY4.0
*5:「Q デジタル化済の資料の原本が見たいです。 A 原本の保存のため、デジタル化された資料はデジタル画像での利用をお願いしています。」よくあるご質問:資料のデジタル化|国立国会図書館より
*6:紹介されたDBのどれを指していたかは不明。
*7:2013-12-01 連続セミナー「みんなでつくる・ネットワーク時代の図書館の自由」第4回「図書館記録におけるパーソナルデータの取り扱いについて」に行ってきた。〜後篇より、佐藤翔先生のお話