日本図書館研究会第320回研究例会「図書館史料の間歇に関する一検討」に行ってきた。

こういうのに行ってきた。

2016年5月28日(土)日本図書館研究会第320回研究例会
発表者:園田俊介氏(津島市立図書館)
テーマ:図書館史料の間歇に関する一検討
http://nal-lib.jp/events/reikai/2016/320invit.html

 という訳で、以下はxiao-2の聞きとれた/理解できた/メモできた/覚えていた範囲でのメモ。誤記・誤解があると思うので、きちんと知りたい人はご本人の論文などを読まれることをお勧めする。当日の参加者は10名ちょっと。

  • はじめに
    • 図書館で郷土資料の構築・収集に携わる中で、自分の図書館の史料はどうなっているのだろうと疑問に思ったのがきっかけ。
    • 日本図書館研究会の大会で、明治・大正期の図書館について一度発表した*1。今回はそれより前の時代を扱う。
    • 図書館は、現在は教育機関としてある程度の地位を確立していると思うが、一方で予算に左右されやすい存在でもある。
    • 明治頃、それまでに作られた公立図書館が全国で一斉に閉鎖した時期。この時期の史料集めは、先行研究でも苦心しているようだ。
    • これまでの成果など
      • 調べ始めてから、いくつか新聞記事で取り上げられた*2
      • 津島市立図書館編年資料集成*3』という刊行物も作成した。図書館史の基本資料の一つになればと思い、各地の図書館に寄贈した。是非手に取ってみてほしい。
    • 明治初期に公立書籍館が誕生した。この時期は教育制度がころころ変わり、図書館は翻弄される。閉鎖に追い込まれたところも多く、図書館史上「衰退の時期」とされる。
    • 一方で、教育会による私立図書館が設立された。これは学校の先生の団体。これらの一つが津島市立図書館の由来となっている。
    • 先行研究レビュー
      • 明治頃の図書館の様子を知る基本資料として『文部省年報』*4がある。「衰退期」には、この資料の図書館に関する記事が減り、資料が少ない時期。
      • 先行研究ではこの時期について「自由民権運動とのかかわりで、政府が恐れて図書館を衰退させた」としている。史料に基づくというよりやや観念的な説明。こういう論じ方は実情に合わないのでは、と思う。
      • 先行研究一覧を表示*5
  • 図書館史を調べる上で、どのような史料があるか
    • 明治初期の図書館的な施設は、4つに分類することができる。
    • この他、たとえば師範学校に併設の書籍館もある。
    • もちろん書店も読書施設といえる。(明治7年の丸善名古屋支店の写真を表示)
    • 今回は4つのうち、1.の図書館に限定して紹介する。
    • 『文部省年報』
      • 文部省が発行していた基本資料。
      • 明治8(1875)年に文部大臣田中不二麿の上奏により、編纂が始まった。第1〜128年報まで出た。
      • 図書館については、第1年報から記述がある。第3年報からは府県立図書館の情報を掲載。
      • 書籍館一覧表が含まれ、開館日数なども載っていて便利。
      • 第14年報からは、これが簡略化。一覧表がなくなったり、あっても簡易な項目しかない。
      • これにより史料間歇、衰退期。
    • 『文部省年報』を補いうるものとして、各府県で作られた学事年報*6がある。
      • 文部省年報に準じて作られたもの。摘要は官報にも掲載される。
      • 先行研究では注目されていない。これらを使うことで、ネガティブなイメージのある時期の史料を補うことができる。
  • 明治期の図書館の実態
    • 明治前期の公私立図書館の設置年表。43館を確認できる。
    • また、設置されてから廃止になるまでの設置期間表。明治19年前後、学校令*9あたりで閉鎖されている。学校令に理由があったのか。
    • これらの図書館の実態はどうだったか。
      • まず小規模。
      • そして利用は低調。たとえば栃木県書籍縦覧所では来館者が少なすぎて、空欄になっている。福山中学校附属書籍館では、10年間、来館者が一人も来ない状況が続いて、ついに県から予算をゼロにされた。公益性があったといえるのか分からない状況。
      • なお明治14(1881)年に、長崎県に県立書籍館があったらしいが、実態はまったく分からない。
    • 官報や文部省年報は国の作ったもので、中央政府からの目線。府県など、各地に残る史料の方が量的に多い。そういった史料も見ないといけないとは思う。今後の課題。
    • これらの43館の中には、基本資料である『近代日本図書館の歩み*10』『近代日本公共図書館年表 : 1867〜2005*11』に載っていないものも多数ある。
  • 愛知県師範学校附属書籍室
    • 単に事例を紹介するだけでなく、ある程度類型として見ていきたい。
    • 愛知県師範学校は、今の愛知教育大学
    • 明治初期の公立図書館では、学校に附設されているケースが多い。島根や大阪などもそうだった。
    • この背景は明治10(1877)年の西南戦争。政府は戦争にお金がかかるため、経費節減を迫られた。その結果官立の師範学校は6校廃止。廃止になった学校の備品や書籍は、県の師範学校に引き取られた。それで書籍室ができた。
    • 新潟も同じような経緯をたどっている。
    • この頃の「文部省年報」は記述が詳しく、精査するだけでも色々な情報が得られる。
    • 愛知では、明治12(1879)年に学校附設の書籍縦覧所を設置した。一般公開したいが、そのためにはお金がいる。非常に人気なので独立館を作りたいと考えていた。
    • が、同じ時期に発足してきた県会と対立。これも全国的傾向。
    • 県会側は、インフラ整備や農民の生活などを重視し、教育費を削りたい意向。一方で知事の方は政府の意向を受けて、百年の大計ということで教育を大事にする。秋田県などではかなり激しい対立があった。
    • 愛知の場合も、書籍館の予算は何度も差し戻しされた挙句、明治13(1880)年から師範学校の図書室を使うことで妥結。予算は100円。当時のお金として少なくはないが、独立館を新設できる金額ではない。
    • 明治15(1882)年、再び県会と知事が対立。書籍室の予算が100円から80円にされた。知事側がこれに不服で再議したところ、議論がヒートアップして今度は予算をゼロにされた。こうした激しいやりとりがされている。
    • 県会側は予算削減の理由として「民力困弊」を挙げ、地方税を少しでも下げるためであるとしていた。
      • ここで、実際に当時の県の財政状況を見てみる。
      • 明治12(1879)年から明治20(1887)年頃の歳出・入を見ると、住民一人あたりの負担は50銭を下回っている。
      • 歳入が歳出を上回り、デフレ型の予算になっている。
      • 当時は松方財政のデフレ政策下だった。が、それにしても極端。知事側からの県会批判の根拠はこのあたりにあったものか。
  • 廃館
    • 明治15(1882)年以降、閲覧者の減少が問題視された。
      • 開室直後は多くの利用を想定していたが、実際には少なかった。図書館側は、場所が不便だからと考え、独立館を求める根拠として「位置が良くなれば人も来る」と主張したりしている。
      • 明治18(1885)年には、来館者数は1日1名に満たない。明治19(1886)年の廃館直前には、3日に1名という数。
    • 明治19(1886)年に、学校令の一つである師範学校令が出された。これは学校制度を大きく変えるもので、施設の充実等を含んでいた。この政府の方針には県会も賛同し、学校の新築などを行った。
      • 一方で、不要とみなされたものは大幅に整理された。整理の対象となったのは図書館のほか、各種学校。愛知県内に55校あったものが2校になった。学校令が図書館に大きな影響を与えたといえる。
    • 明治20(1887)年に廃館。
      • この時期の県会の議事録を見れば色々書いてあるはずだが、愛知県ではこの時期の議事録が紛失している。調べたところ、なんらかの事情で当時の書記が持ち逃げしたらしい。
      • このため愛知県の事情は分からないが、他の県でもこの時期の議事録では大事なことを書いている可能性がある。
    • 明治20(1887)年の愛知県学事年報を見ると「監督を厳にする」とある。学校設備の充実が最優先で、学校併設図書館は閉館。10館中2館しか残らなかった。
    • ここまでの経緯をまとめると、以下のとおり。
      • 官立学校の蔵書でオープン。
      • 県会による予算削減に遭い、学校費から捻出。
      • 利用者が少なく、公益性の低さから廃館に至る。
  • 図書館の廃止事由
    • 廃止というネガティブな話題は、これまであまり研究されていないように思う。文部省年報や府県の学事年報から廃止事由を拾い、一覧にしてみた。
    • 全国的に見ると、やはり来館者の少なさなどが理由にされているケースが多い。中にはいくつか興味深いものもある。
      • 鹿児島の書器局。これは独立の図書館だった。名前も「局」となっていて、組織上重い位置づけ。興味深い。ここは西南戦争での敗北が廃止理由。
      • 福岡博物館は「無用の長物」とまで言われている。
      • 五戸書籍館は、もともと小学校の教育研究のためにつくられた機関だったが、明治13(1880)年の教育令改正により民間での研究が不要となったため。
      • 岩手にあった信成書籍館は、館主の篤志により運営されていたが、その人が牧場経営をやるため館の運営をやめたという理由。
  • 東京図書館の統計との比較
    • これだけ利用が少なかったが、では当時の人はどんな本を好んでいたのか。
      • 東京図書館の利用状況を見ると、和漢新洋の分類のうち、新書(明治維新後に国内で出版された書籍)が多い。特に文学など。愛知師範学校の図書館では予算がないので、こうした本をなかなか買えなかった。
    • 明治39(1906)年10月の、愛知県津島町出身者の書簡に、当時の帝国図書館に行った時の感想が書かれている。これは津島市立図書館の郷土史料として持っているもの。
      • 「さすがに日本第一の図書館」「あらゆる分野の本が揃っている」「入館料は1回2銭、10回で12銭と非常に安い」「今後も是非行きたい」といったことが書かれている。
      • 当時の入館の回数券である求覧券の使いかけのものもある。
      • 東京図書館は利用者の希望に応えるものになっていたのだろう。
    • 文部省年報の、明治15(1882)年の新潟の状況を書いた部分にも、「通俗書が増えれば人が来るのに…」という趣旨の記述があった。
  • 学校令と図書館
    • 法令面から見ると、学校令は師範学校の図書館を衰退させ、教育会図書館を活発化させた。
    • なぜ教育会図書館が活発化したかというと、学校令により制度が大きく変わり、教員側では体系的な研究の必要が生じたため。
    • 全国に作られた教育会は、大日本教育会の下部に入っていく。大日本教育会の規則には書籍館設置を定めた規則があり、各地の教育会もこれに倣って規則を作った。これにより図書館活動が盛んになった。
  • まとめ
    • 設置から廃止までの経緯には類型的な流れがある。
    • 衰退の要因は、蔵書構成があまり魅力的でなかったこと、県会との駆け引きなど。
    • 教育行政との影響。図書館の隆盛も衰退も、単独ではなく制度の一環と考えるべき。制度史の観点から見ていく必要がある。
  • 質疑
    • フロア
    • 園田氏
      • 実は中之島図書館と津島は縁がある。初代館長の今井貫一は、もとは津島の校長先生。
      • 理想が勝ちすぎて地元と対立し、がっかりして、大阪の方で図書館長の募集があったときにそちらへ行ってしまった。そのためその後地元は大混乱になったという話が残っている。
    • フロア
      • 発表内で引かれていた津島市民の書簡は、津島市立図書館へ行けば見られるのか。
      • 見られる。個人が大量に寄贈してくれたもので、現物は返したがデータは閲覧可能。
    • フロア
      • 津島市民の書簡を書いたのはどのような人物か。高等教育を受けたような人だったのか。
    • 園田氏
      • 津島で初めて帝大に行った人。地元では神童と言われたが、家の事情で大学をやめて戻ってきた。勉学に対する意識が非常に高い。残念ながら地元の図書館は一顧だにされなかったようだ。
    • フロア
      • 古い図書館では自館史を持っていると思うが、そういったものはどのくらい見たか。
    • 園田氏
      • 政府にある資料と地元にある資料の2種類があり、後者の方が圧倒的な厚みがある。
      • 調査は大変。いくつかの図書館には電話で聞いたが、まとめた自館史を持っていないところもある。
      • 図書館に蓄積された資料が大量にあるのは間違いない。
    • フロア
      • 附設図書館が閉鎖された際、蓄積された蔵書はどうなったのか。
    • 園田氏
      • 閉鎖というのは一般公開をやめたということで、たいていは資料はそのまま残る。現在でも蔵書印の残った図書があったりする。
    • 園田氏
      • 赴任当初は、図書館史のことはほとんど知らなかった。
      • これからどう図書館を運営していくか考える時に、そもそもの設立の根拠を考えなければならない。
      • 今の仕事は今の仕事として頑張らないといけないが、それだけでなく、根源を振り返ることが必要。

 以下、xiao-2の感想。

  • データが豊富で、非常に充実した発表だった。スライドでは古写真などの図版も多く表示され、見ていても楽しかった。
  • 郷土資料の書簡から、東京図書館に関する感想が出てきたくだりも面白かった。昔の利用者の素直な感想というのはなかなか見る機会がないものだが、地方に残るこうした資料には案外残っているのかもしれない。
  • 最後のフロアからの発言では、質問というより感想を述べる人が多かった。個人的な話などもあったのでここでは省略しているが、数値目標や図書館経営体制など、歴史系テーマの学習会としては意外なほど生々しい話と結びつく感想も出てきた。これは質疑の最後に挙げたような、発表者の問題意識に誘発されたものかもしれない。これからを考えるために歴史を学ぶことが必要、という姿勢には深く同意。