緊急シンポジウム「近デジ大蔵経公開停止・再開問題を通じて人文系学術研究における情報共有の将来を考える」に行ってきた。〜その1
こういうのに行ってきた。
緊急シンポジウム「近デジ大蔵経公開停止・再開問題を通じて人文系学術研究における情報共有の将来を考える」
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~nagasaki/daizokyo2014.html
こちらの件を受けて開催されたシンポジウムとのこと。全体は二部構成。第一部と第二部それぞれの冒頭に、永崎先生による背景説明と安岡先生による問題提起があった。自分は第一部の冒頭で少々遅刻して一部聴けなかったが、内容はだいたい同じと思われることから、以下では第二部冒頭で聞いた話も第一部冒頭に勝手にまとめる形で編集した。参加者は30名程度か。
以下、例によってxiao-2が聞き取れて理解できてメモできて、なおかつ覚えていた範囲のレポート。項目立ては適当。敬称はおおむね省略。
- 永崎研宣先生(一般財団法人人文情報学研究所主席研究員ほか)による趣旨説明
- 本シンポジウムの主催者は京都大学人文科学研究所共同研究班「人文学研究資料にとってのWebの可能性を再探する」*1。自分は研究班の班長でもあり、SAT大正新脩大藏經テキストデータベース研究会*2と、国立国会図書館(以下、NDL)
のデジタル化事業*3の両方に関わっている*4。 - 近代デジタルライブラリー*5で大蔵経が公開停止・再開された問題*6は、人文系の学術情報資料に深く関わるもの。
- 文化資料の多くは人文系にとって重要なものだが、その割に議論されることが少ない。出版社の権利という面は重視されるが、学術成果としての文化資料について論じられることは少ない。
- デジタル化資料にはいくつかの種類がある。新規のデジタル化資料と、既存の資料をデジタル化したもの。新規の方はボーンデジタルの資料などで、紙との併存が可能。既存の方は著作権保護のあるものとないものに分かれる。この区分は
ジョン・アンソワーズ*7John Unsworth*8が整理したもの。今回の大蔵経は、既存コンテンツで著作権保護が切れているケースに該当。 - 研究班としての関心は、さきの分類で挙げたすべての種類のデジタル化資料にまたがる。色々な媒体で、とにかくWeb上で人文系の学術情報が広がっていくという流れがある。
- その中で近デジ大蔵経問題が起きた。これはNDLが所蔵資料をデジタル化して公開したものを、出版社からの抗議によって取り下げるという経緯となった。
- そもそも大正新脩大蔵経とは何か*9。
- 仏典など1900点以上を編纂した本。大正〜昭和にかけて刊行された。32巻まではインドのお経を漢訳したもの、55巻までは中国の仏典、85巻以降は日本のお経。
- 既存の校訂テクストに依って編纂されている。
- なお、校訂テクストという言葉は注意ポイント。たとえば聖書についていうと、正しい聖書というのはどれかということは学問上の重要な問題で、これこそ正しい聖書と言われるものが次々に刊行されている。それらは著作権を主張している。
- オリジナルの聖書は神の言葉を記したものであると考える以上、「正しい」聖書に近づけば近づくほど、オリジナルの聖書と違うところのない、オリジナリティがないものになっていくはず。古い写本の発見やより深い解釈などによって内容は更新されていくが、更新すればするほど、その作業をやっている人から見れば「オリジナリティがなくなっていく」過程ということになる。従って、更新した人の努力はオリジナリティという点で著作権の保護に合わないものという解釈になる。
- ドイツの著作権法では、学術出版のこうした問題に配慮している*10。「著作権の保護を受けない著作物(=この場合は聖書)についての、学術的な整理の成果は保護する」という考え方。日本ではこういうことを認めてもらうのは難しい。
- 大正新脩大蔵経に話を戻すと、芝増上寺で所蔵されていたテキストを元に、他の機関で所蔵していたテキストも見て、7-8世紀頃の古写経なども加えて編纂された。一部には訓点や注も施された。関係者は非常に苦労して作った。企画の高楠順次郎博士は借金をしたり、自宅を抵当に入れたり、運営していた会社の経営が立ちゆかなくなったりといった苦難も味わっている。それだけお金がかかったのは何故かというと、今で言う外字、たとえば梵字などの活字が大量に必要だったため。
- 昭和19年に完成して、あとはどんどん刷るぞ!というタイミングで戦災。紙型が焼けてしまった。
- 1960年に大蔵出版が復刊。この時、初版で指摘されていた誤りなどもついでに直している。
- 1980年代に台湾で海賊版が出された。当時大正新脩大蔵経のは革張り金文字で1冊2万円、全部で80冊以上。お金のない学生にはとても買えず、つい海賊版を買ってしまうという背景があった。これを受けて?大蔵出版からも普及版が出された。
- 1990年代に入って、大蔵経をウェブで読めるようにテキスト化するという試みが日本と台湾でなされた。
- これだけの膨大なコストをかけるに値した理由は?
- 一方、南伝大蔵経とは何か。
- 南伝大蔵経はパーリ語の仏典を和訳したもの。当時、パーリ語のお経がロンドンで刊行されていた。これを翻訳しようという試みから始まった。
- 大正新脩大蔵経を出したことで高楠博士の評価が高まった。また、仏典を文献として出していこうという機運がある頃で、支援も集まった。
- 手分けして纂訳。訳には当時の若手が携わっている。今では大御所というような人。携わった人の中にはお坊さんもいる。そういう人はお金のためというより使命感で仕事をしているのだろうと思われる。一方で給料をもらってやっていた人もいた。
- 70冊中21冊は著作権切れ。21世紀になってから、南伝がオンデマンド版で出された。これが発行された頃に、近デジでデジタル化資料が公開された。大蔵出版としては、近デジで出ることを知っていたらオンデマンドをやらなかったかもしれない。
- 近デジ大蔵経問題への、関係者の対応。
- 2013年、日本出版者協議会*12がNDLに対し公開中止の申し入れを行った。その資料が現在も商業刊行中であるということが大きな論点。
- これに先立ち、大蔵出版の青山社長が「出版ニュース」でNDLに抗議していた*13。この時の論点は版面権の有無、民業圧迫といったことが中心。
- 対するNDLは、公開をいったん停止。これは暫定的措置であるとして、改めて声明があった*14。
- その内容は「大正新脩大蔵経は公開、南伝大蔵経は非公開」というもの。民業や出版文化への過度の圧迫を避けたいという趣旨。
- 背景には納本制度がある。また、民間企業がやってビジネスになりうることを、国がやってはまずいという考え方。
- 一方で、NDLの使命は知の共有。それを妨げる動きとなりうることについては説明責任がある。また別の視点からは、公金を使ってデジタル化したものを公開しないということへの説明も充分でない。回答文書を見る限り、NDLとしてはもっときちんと説明したいが、まだ事例が少ないため、これから話をしていくということのようだ。
- 本シンポジウムの主催者は京都大学人文科学研究所共同研究班「人文学研究資料にとってのWebの可能性を再探する」*1。自分は研究班の班長でもあり、SAT大正新脩大藏經テキストデータベース研究会*2と、国立国会図書館(以下、NDL)
- 安岡孝一先生(京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター)による問題提起*15
- 近デジ大蔵経問題がネット等で話題になっているが、実際大蔵経を見たことのある人はあまり多くないと思う。
- 自分は漢籍の研究などをしてきたので、古典の文化がぞんざいに扱われることは好ましくない。NDL自身は色々と考えた上で対応している。しかしネットでのコメントで、大正新脩大蔵経を使ったこともないような人から無責任に色々言われるのは腹立たしい。
- という訳で実際見てみる(大正新脩大蔵経の現物を提示、スライド画面に表示して)。
- 一冊分でけっこう大きい。これが80冊以上。
- 中を見ると、ひたすら教典が乗っている。驚くほどの分量。本文はすべて漢文で、返り点と数字が打ってある。この数字は注で、ページ下に横書きの注がたくさん載っている。この世界は縦書きが中心なので、横書きは珍しい。なぜ横書きかというと、日本語でなく原語の注だから。
- まあ普通の人はあまり見ない。仏典の研究者でも1つ二つのお経しか扱わない。通しで読むものではない。
- 巻末に、原典の略称リストがある。これはパーリ語の原典。原拠が漢訳仏典でなくパーリ語なのが特徴。
- 奥付にはたくさんの人の名前が載っている。巻ごとに載る名前が違う。校訂・校正の人は「その他」扱いにされているが、それでも名前が載っている人だけでも非常に多い。編集発行は高楠順次郎。
- 同時に和綴じ版も出ているが、NDLが近デジで公開したのは洋装の方。
- 一方、南伝大蔵経がこちら。
- サイズからして小さい。まったく別の本。
- 凡例にはタネ本の存在が書かれている。Hermann Oldenberg「THE VINAYA PITAKAM」。他に参照した本が挙がっている。これも巻ごとに違う。
- 目次を見るとお経ごとに、宮本正尊、渡邊照宏訳などと翻訳者名が書かれている。
- 本文は日本語。つまり大正新脩大蔵経は漢文、南伝は日本語で、まったく違うもの。南伝は、注はあまり多くない。
- 索引がある。漢字-パーリ語-ページ数という索引。漢字の方はあいうえお順。別に発音索引というのもあり、これはパーリ語をカタカナにした索引。
- 奥付。著者が高楠順次郎、翻訳者は大勢。私見だが、ここに挙がっている全員がこの巻に関わった訳ではなさそう。南伝全体としてこれだけの翻訳者が関わったということのようだ。そもそも1巻から順番に刊行された訳ではなく、4巻はかなり遅く出ているのだが、その間に亡くなった人の名前もここに書かれている。
- サイズからして小さい。まったく別の本。
- 南伝の公開取りやめという結論自体は別に構わないが、この南伝の著作権についてNDLの声明で言及していない。これが気になっている。
- 声明では、大正新脩大蔵経の著作権が切れていることについては、大蔵出版側も含めて争っていないとする。
- では南伝は?もし翻訳者に著作権が認められるのなら、まだ権利は切れていないはず。たとえば4巻の翻訳者である渡邊は70年代没。6巻は教典ごとに翻訳者が複数いる。各巻翻訳者を見ていくと、没後50年未満の人がけっこういるように思う。
- もっとも奥付に記された監修は高楠博士、発行者は高楠順次郎博士功績記念会。どちらも著作権は切れている。図書館の目録規則としては、記念会が発行者となるので、そちらを採用しているのかもしれない。ただそれは図書館の規則についての話に過ぎず、著作権法上の著作者とは別問題。
- 南伝の元ネタであるハーマン・オルデンバーグ(Hermann Oldenberg)「THE VINAYA PITAKAM」については、オルデンバーグは編集しただけ。元はパーリ語の仏典を集めたもの。これを訳したものが南伝。パーリ語の文献の著作者はわからないが、おそらく著作権は切れているだろう。オルデンバーグは1920年没、これも切れている。
- 大正新脩大蔵経の方は、元々の著作者は馬鳴、漢訳者は曇無〓*16。どちらもとっくに著作権は切れている。
- そういった点に触れず、NDLも出版社側も、高楠博士の著作権の話ばかりしている。
- ここまで、本件は著作権法51条2項*17の問題として考えてきた。
- 永崎
- 補足。確かに南伝の翻訳者の著作権についてNDLの文書では触れられていないが、実際公開されている巻をみると翻訳者の没後50年経っていない巻は未公開となっているようで、NDLとしては配慮しているのでは。
- 井上周一(弁護士)
- 自分は弁護士として著作権関係の裁判を扱うことも多い。近デジ大蔵経問題に関するNDLの対応は実務的にはよくあるパターンで、さほど違和感はない。
- 著作権については、対象が著作権法2条1項1号*19で定める著作物に該当するかどうか、著作物である場合は著作権の保護期間内かどうかがポイントになる。
- 著作物かどうかについては、著作権は創作性を保護するというのが理念。
- 従って、たとえば苦労してデータを集めてきても、それを一覧にしただけでは著作物とならない。
- 翻訳や返り点が著作権保護の対象になるかどうか。これは二次的著作物に当たるかどうかという判断。
- 二次的著作物についての規定は、著作権法2条1項11号*20。二次的著作物ならば、別個の著作物として保護の対象となる。そのためには新たに付与された創作性が必要。
- 二次的著作物として成立したら、新たに付与された部分についての権利は原著作者にも及ぶ。二次著作物の著作者の権利は、新たに付与された創作性の部分についてのみ認められる。
- 南伝についていうと、翻訳者の著作権についてはおそらく認められる。著作権の及ぶ範囲は、日本語の部分。
- 漢文の返り点については、学術的に大変な作業だとは思うが、創作性を認めるのは難しい。単純な置きかえ作業、たとえば墨字のものを点訳する作業では認められない。暗号の解読でも不可。どちらも労力の大きい作業だし価値のあることだが、法律的には、書いてあるものを読めるようにしただけということで創作性はないと見なされる。
…と、ここでいったん休憩。レポートもいったん休み。
*4:2014/01/31永崎先生よりのご指摘に基づき修正。詳細は本記事のコメント欄参照。
*5:以下「近デジ」
*7:メモが追いつかず、後で典拠を探そうと思っていたらうまく見つからなかった。要調査…。
*8:2014/01/31永崎先生よりのご指摘に基づき修正。詳細は本記事のコメント欄参照。
*10:参照:著作権情報センター|著作権データベース「ドイツの著作権」
*13:青山賢治.ブック・ストリート 出版協 出版権はないのか:国会図書館の横暴. 出版ニュース. (2308):2013.4.中旬
*14:国立国会図書館プレスリリース「インターネット提供に対する出版社の申出への対応について(PDF)」
*15:ご本人のブログに当日配布資料(PDF)が載っていた。
*16:最後の字は、ごんべんに「殲」のつくり
*17:「2 著作権は、この節に別段の定めがある場合を除き、著作者の死後(共同著作物にあつては、最終に死亡した著作者の死後。次条第一項において同じ。」五十年を経過するまでの間、存続する。」
*18:「3 国立国会図書館は、絶版等資料に係る著作物について、図書館等において公衆に提示することを目的とする場合には、前項の規定により記録媒体に記録された当該著作物の複製物を用いて自動公衆送信を行うことができる(以下略)」
*19:「一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」
*20:「十一 二次的著作物 著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物をいう」