南三陸町図書館へ行ってきた。

 本来は図書館総合展フォーラムの第三部をアップする予定だったが、それは後回しとして。
 ご縁があって、宮城県南三陸町へ三日間のボランティアに行ってきた。ついでに10月からオープンした南三陸町図書館も覗いてきたので、そのレポート。

  • 町の様子

 津波に遭ったところは、建物が完全になくなって礎石だけが残っている。立っている建物も壁に穴があき、窓枠が歪んで、爆撃された後のようだ。積み上げられたぺしゃんこの車、屋上のあり得ない場所に車が乗っかった建物、風になびくような形に歪んだガードレール。あまりに異様な光景で、かえって起こったことの悲惨さが想像できない。間抜けた顔で見上げるばかり。
 道路は一応がれきをどけて車が走れるようにはなっている。しかし聞くところによると、地盤沈下のために満潮や雨の時には一部冠水してしまうそうだ。遮るものなしの海風が吹き付けて、寒い。そんな中でもプレハブのコンビニ、ガソリンスタンドなどがぽつぽつと開いている。バスで営業しているラーメン屋さんもあった。そういう営みを見ると、ほっとする。
 南三陸町の総合体育館ベイサイドアリーナへ向かう。ここは高台にあるので無事だったようだ。道路を上っていくと、途中から突然普通の風景に変わる。津波に遭ったところと遭わなかったところの風景のギャップがすごい。
 ベイサイドアリーナ内では震災の写真展をやっていた。震災前の町を映した写真と、同じ角度から震災後の様子を映した写真がある。元はごく普通の民家、商店の並ぶ町。「サンポート」というお店の看板が見える。先程目にしてきた道路沿いに辛うじて立っていた建物に、同じ看板があったことを思い出して、ようやく写真と現実の風景がつながる。

 元の図書館は流失し、10月5日からベイサイドアリーナ前に仮設図書館としてオープンしている*1
 図書館はプレハブが2軒。少し離れた向かいにマイクロバスくらいの移動図書館車が停まっていた。プレハブの1軒には木でできた「南三陸町図書館」の看板。誰が書いたのか、達筆の立派な看板だ。もう1軒は同じく図書館名を、ピンクの紙で切り抜いて窓に貼ってある。再開のお知らせチラシによると、移動図書館車は図書館振興財団からの貸与か。

 靴を脱いで、看板のある方のプレハブの中に入る。体感としては8畳程度の広さ。小さいながら右奥にカウンターがあり、職員さんがにっこり迎えてくれた。部屋の中は薄水色の絨毯に、壁には応援メッセージなども貼ってあった気がする*2。クリスマス用らしい、赤ずきんちゃんと狼のモビールがゆらゆら揺れている。外が寒かったので、ほわんと暖かい。
 カウンター前には真新しいブックトラック。saveMLAKのステッカーが貼られている。ブックトラックには「ご自由にお持ちください」という掲示があり、子ども向けの文具や児童書、ナンクロの本などが置かれている。支援で届いたものの配布だろうか。片隅に、床に座って使うテーブルもある。こちらのプレハブには、図書館の蔵書はあまり置いていないようだった。
 静かで落ち着く空間だ。ただし小さい。大人が5人も入れば窮屈な感じだろう。

 もう一軒のプレハブには、時間がなくて入れなかった。窓から見る限り書棚が縦横に置かれている様子。書棚の間は大人が入ると窮屈なくらいだろう。窓から見えた限りでは、児童書、小説などが多いように見えた。真新しく、きちんとラベルも貼られている。後で調べると蔵書は3,000冊だそう。
 自分が立ち去る時、親子連れが図書館に入っていくのが見えた。なんだか、いいなぁと思う。

 感想としては、小さいながらとても素敵な場所だった。が、やはり圧倒的にスペースが足りない。中で落ち着いて本を読むとか、人が集まったり催しものをやるという場所ではない。
 先日のフォーラムで宮城県図書館の熊谷さんが「仮設でサービス再開できたものを『再開した』と言ってしまっていいのか」と疑問を呈されていた。そのことの意味を、少し理解した気がした。みんなの支援で仮設の図書館が始まりました、めでたしめでたし、ではもう支援の方は手を引いていいですね、という訳にはいかないのだ。再開はめでたいけれども、仮設は仮設。仮設が本設(という言葉は無いが)になるまで、気にかけ続けなくてはならない。
 それはもちろん図書館だけの話ではない。避難所で生活していた人が仮設住宅に入れるのは大事なことだが、仮設住宅に入れたら終わりというわけではない。目に付く報道だけを見ていると、そんな当たり前のことを忘れそうになる。

 ついでにベイサイドアリーナの中や周辺をうろうろする。法テラスのプレハブ相談所があったり、職業紹介所等ができている。生活の再建のためには、色々なサポートが要るのだなと実感する。特に法律相談が出来るのはとてもありがたいだろう。
 被災して仮設住宅に暮らすひとたちは、どうやって再建に必要な情報を得ているのだろう?と思う。何割くらいの人がインターネットを使えるだろうか。法律問題なら専門家のアドバイス以外にも簡単な入門書があれば心強いだろう。災害に関連した様々なハウツー本も出ている。そういう本が必要なとき、手に入れる手段はあるんだろうか。とは言え当事者の方にお話を聞く機会はなかったので、あれこれ想像してみるより他はない。

  • 支援することの難しさ

 一方で、自分が関わらせてもらったボランティア団体の活動からも学んだことがあった。その団体は現地に継続的にコミットしていて、ボランティアは自分のような数日滞在から数ヶ月いる人までいろいろ。
 自分はそこの台所仕事を少しさせてもらった。支援物資やボランティアの持ち寄りで、食料品はある。が、何しろ不定期かつ不定量に届くものだから、あちこちにしまわれていて、どこに何がどれだけあるか把握しきれなかった。もしかすると在庫に気付かず、無駄にしてしまったものもあるかもしれない。
 それはそこの団体の人が悪いわけではない。主婦もしくは一人暮らし経験のある人なら分かるだろうが、台所の管理というのは料理というよりマネジメントだ。古くなりそうなあの食材を今夜使って、余ったら明日の昼に使い回し…といったように。だが管理する側自身が、ボランティアで来ているためころころ入れ替わる。長期で滞在しているメンバーは他の支援活動で手いっぱいだし、専任スタッフを置く余裕はない。
 支援を届けることの難しさとはこういうことなのだなと思った。物資を送ることはすぐできる。だが、それを管理して有効活用するには、受け取る側にその管理をできる人がいなくてはならない。その「人」こそが足りない。フォーラムで聞いた、物資支援よりも人的支援の方が助かるという話を思い出す。


 どれも難しい問題で、外野から何ができるとも分からない。復興が始まりつつあるからといって何かが完結した訳ではない、ずっと関心を持ち続けなくてはいけない、ということだけを確認して帰ってくることとなった。
 あの立派な南三陸町図書館の看板が、同じように立派な建物に掛け替えられる日を、切に願う。

  • 余談。

 南三陸町は海産物の豊かなところ。港も被災したけれど、少しずつ漁業が再開してきたおかげで、いろいろ美味しいものを売っている。特にいまは鮭が遡上する時期だそうで、イクラの旨さ&安さには感激。その他の魚はもちろん、さりげなく出てくる海藻類さえたまげる旨さ。行く予定のある人は必食です。