「自分もやってしまうかも」を、させないために。

 前回の記事を書いたあと、自分で眺めてさらに思ったこと。まとまらないままに書く(一部極論です注意)。

 くだんの事件に関して「図書館員はもっと自己研鑽すべき」といった発言を聞くと、確かにその通りと思う。一方で、だからといって図書館の中の人が「オレ自己研鑽すべき」とひたすら思いこんでしまうのも、少し違う気がする。
 というのも、情報処理技術に弱いのは、個々の職員よりもむしろ組織としての問題だと思うから。


 たとえば、ラーメン屋で冷やし中華をメニューに加えたとする。店主の気まぐれではなくひとつの商品として売るなら、作るべき人は作れるように教え、作らない店員にも必要な知識は行き渡るようにするだろう。「冷やし中華にキュウリ入ってたら、嫌いなので抜いて」とか例外処理を求められた場合でも、少なくとも誰に聞いてどうすればいいか分かるように体制を作るだろう。
 メニューには加えたものの作れるのは一人だけで、その人もいつまでいるか分からない。フロアの店員は冷やし中華にキュウリが入っているかどうか、抜くことができるかどうか知らないし、誰に聞けばいいかも知らない。新商品出すけど作り方や内容は各自で調べてね、ただし調べるための勉強は業務じゃないからお店としてサポートはしません。…という状況だとしたら、サービスとしてはあんまりだ。小さいお店ならともかく、たとえばチェーン店でこれはありえないだろう。

 同様に、図書館で業務としてウェブサービスを始めるなら、運用する人の確保・教育もあわせて業務としてやるべき。委託なら、業務に必要なレベルの知識をスタッフの教育に盛り込むことを保証させるべき。トラブルが起きたのは、たまたま現場の人が技術に疎い人だったためかもしれない。だがそもそも疎い人をそこに当てるのも、当てておいて疎いままでいさせるのもおかしい。全員が自分で処置できるレベルでなくてよいとしても、見慣れないことが起きた時、まずは組織内部で相談できる窓口と、対応できる体制を用意すべき。
 モノとしてのシステムと、運用する人はセットのはず。モノには資金を投資するのに、ヒトの部分は各自の自己研鑽に頼って成立するサービスなんて、どこかおかしい。


 …本来ならば、ね。

 ただ実際問題として、どこも予算がないのは事実。シンポジウムで聞いた大屋先生や上原先生のお話にも、公共機関側の苦しい台所事情が出てきた。優秀な人を引っ張ってこられるお金も、教育するお金も足りない。残念ながらその状況はすぐには変わらない。
 べきべき言ってても始まらない。組織がなんとかすべきなんだから自分は知りませんとそっぽ向いていては、同じことをやってしまうかもしれない。第一、安心して新しいことに取り組めない。だから対症療法として、自学自習で知識を身につける。
 もちろんそんな後ろ向きの姿勢だけではなく、学んだ結果技術が好きになればいいことだし、楽しめれば最高だ。


 でも、本来は組織の問題なのだということも忘れてはいけない。特に、いつかその組織でマネジメント側に回るかも知れない立場の人ならば。
 自分が勉強するだけでなく、研修制度の充実を企むとか、委託の仕様書に書きこむとか、あるいは職場の雰囲気を変えていくとか、なにがしか仕組みとして取り込むための方法を意識しなくてはいけない。なぜなら熱心な個人の自己研鑽だけでは、その研鑽は「業務」として認められない。組織としてヒトに投資する合意ができない限り、熱心な人がいなくなれば、また同じことが起きてしまう。
 まして自己研鑽で知識を身に付けたからと言って、後進に「俺は自分で勉強したんだから、研修制度が欲しいなんて贅沢言うな」なんてことを言っちゃいけない。勉強熱心な人ほど陥りがちな罠。自分は道なき道を通ったとしても、道がある方がずっといいに決まっている。


 自己研鑽は必要で大切で偉いことだけれど、対症療法。本筋は「(組織として)させない」こと。前回の記事であえてマネジメント中心の資料を探したのも、無意識にそんな気持があったからだと後から気付いた。

 以上、おおむね自戒としてメモ。…案の定まとまってない(笑)