ユルユルの必要性をマジメに考える。

 U40の影響で、昨年の12月以降、図書館員で集まって飲む機会が増えた。U40で出会った人同士が飲み会を企画するという直接的影響と、そもそも知り合いやそうでない人々がゆるく集まって飲む文化が生まれたという間接的影響。
 自分のようにお気楽な人間には「おもしろそう」以外の意義は特に必要ないわけで、ほくほくしてあちこちに参加している。*1

 ところが先輩の図書館員をお誘いしたら、「有意義な活動ができるんなら参加するけど、単なる飲み会だったら気が進まないな〜」という感じの反応が返ってきた。人付き合いが嫌いなわけではなくて、真面目なんである。この業界には真面目な人が多いから、同じように「単なる飲み会」を敬遠している人もいるだろう。
 そこであえてマジメに、ゆるい集いの効用を考えてみた。


 前から気になっていることがある。それは公共、特に県立クラスの図書館での職員の年齢構成。体感に基づく話で恐縮だが、県立図書館の中の人と話しているとこういう声が実に多い。
「私が職員最年少」(33歳?、36歳の人)
「同期の数が多くて、その下はほとんどいない」(33歳?)
「ここ数年新卒採用していない。20代の正職員は珍しい」
 どれもここはすごい、この人はすごいと思えるような活動をしている図書館の人の話だ。確かに30代は仕事に脂が乗ってきて活躍する時期ではあるのだけど、その下がいないというのはどうなんだろう。
 ある人の話によれば、今はどこも新館立ち上げ時にまとめて採用するだけで、その後は数年おきに一人か二人という程度になるそうだ。自然、若い世代ほど少ない状態になる。
 このまま数年経って、ようやく新人を一人採用したとする。すると上の世代(今のアラサー)は下手すると10歳近く上。同年代で結束が固く、激動の時期に活躍してきた人達だから意識も高くて優秀。そういう人に対してたった一人の新人、果たして自由に物がいえるだろうか。
 幸い自分の尊敬する方々は、年下の意見からでもちゃんと学べる頭の柔らかな人ばかりだ。が、自分も含めて一般的に人が40になり50になっても柔らかさを保ち続けるにはそれなりの努力と環境が要る。組織としてものの見方を更新していく上で、5歳くらい下の後輩がいないというのは結構危機だと思うのだ。


 一方で、20代の図書館員にも会う。圧倒的に嘱託・非正規職員の人が多い。交流会の類で会うような人はたいがい熱心で、勉強もすれば対人スキルも高い*2。公共・大学・学校図書館といった複数の館種で経験を積んだ人もいて、視野が広くてすごい。
 だが非正規雇用の人が、図書館の大きな運営方針まで決められる場合は少ない。権限上そういう仕組みになっていない場合もあるだろうし、非正規職員はそんなこと考えなくていい、という雰囲気の組織もまだまだあるだろう。まっとうに意見を言う機会を抑えられ続けると、優秀な人でも本当に目の前の仕事しか見えなくなる可能性がある。これも危機だ。


 今の時代、図書館だけでなく公務員全般にも、企業一般にもある傾向だろう。その流れ自体はなかなか変えられない。だったら次善の策として、組織外でつながりを作ってみるしかない。館種を混ぜ、年齢を混ぜ、正規非正規を混ぜた交流が必要だと思うゆえんだ。


 そのために勉強会の類があるわけだが、勉強会にはテーマが要る。テーマの決め方によって、集まってくる人が限られてしまう。機関リポジトリを熱く語る集いに興味を持つ公共図書館の人はまだ少数派だろうし、児童サービスを熱く語る集いだと大学図書館の人は行かないだろう。行ってみれば有意義かも知れないのだけど。
 また特定の活動を目的にしている会の場合、そこまで熱くないけどちょっとのぞいてみようかという程度の人が参加するのは敷居が高い。いきなり行っても「教える−教えられる」の関係を脱するのは難しい。


 その点、ただの飲み会はふらっと参加できる。そこで会った人と意気投合して、オヤこういう話題が今熱いんだ、でも私は詳しくないんだよ、じゃあ今度勉強会でもしてみますか、という展開なら知らないことでも学びやすい。また一緒に呑んで*3バカ話した相手には、その後も物が言いやすい。10年後その人が偉くなっていても「○○さんはガンダムの話すると目の色変わってね、アハハ」と言える関係。有意義な企画も勉強も議論も、その後についてくる。


 ゆるい集いの成果は人がつながること。人がつながる場を維持するだけでも、値打ちがある。…以上、遊んでばかりいるおいらの自己弁護でした。

*1:ちなみに、先日のセミナーの前日に飲んだくれてたのはこれ。いやあ楽しかった。

*2:世の中にはそうじゃない人もいるだろうが、自分はすごい人のことしか覚えていないので。

*3:当然呑めない人はいるので、コーヒーでも渋茶でもペプシでもいい。