大阪府立国際児童文学館に行ってきた〜感想篇

 思うことが多すぎてなかなかまとめきれず、年を越えてしまった。


 今回、見学を勧めてくれた人に「あの施設の値打ちは書庫にある。表面から見える部分だけ見ても分からないよ」と言われていた。そのとおりだった。実際自分も、子ども室だけ見た時には割と小さいんだなという印象を持った。2階の閲覧室とバックヤードを見て、初めて驚嘆した。
 特に書庫には圧倒された。一冊一冊ではなく、コレクションという塊の迫力だ。「なかよし」創刊号はなるほど貴重だが、本当に貴重なのは創刊号から、今買える最新号までが並んでいることだ。一冊は数百円でも、継続的に保存することで値打ちが出てくる。ここは保存のための施設なんだと実感した。


 そして保存という面で見ると、不便なあの立地にも実はメリットがあったのかも知れない。
 直接利用が多ければ多いほど、どうしたって資料は傷む。あの場所にわざわざ足を運ぶ人たちは、この施設の目的や原資料の値打ちを分かって来ている。だからさほど無茶はしない。閲覧室で、利用している人のマナーがよいという印象を受けたのはそのためだろう。子どもも親子連れ、つまり親の監視の届く状態で来ているから行儀がよい*1。子どもだけ施設に残して親がどっか行ってしまう、ということもできないし。
 アクセスしにくいというのはいいことではないけれども、そうでなければ、マンガや児童書のような損耗の激しい種類の資料を元の姿のまま残すことは難しかっただろう。保存のためにもっと多大なコストと人がかかったことは間違いない*2


 ただ、それゆえに広く人に知られず、関心を持ってもらえなかったということが廃止という結果につながったのかもしれない。
 見に行く前後、改めて児童文学館に関するブログ記事やニュースをチェックした。特に、研究者や関係者以外の普通の人のブログ。廃止に賛成の人は児童文学館にそもそも関心がないか、行ったけれど(子ども室が)閑散としていたから不要、という意見が多いようだった。廃止を惜しむ人でも、書庫まで見たという声はあまりない。足を運んだ上バックヤードツアーに参加する人は限られるから、当然の話。
 12月27日当日、閉館のニュースがテレビで報じられた。その時も映っていたのは子ども室だけ。「戦前の児童書など貴重な資料もあり」といった紹介はあるものの、実際の書庫の映像はなかった。廃止・存続の議論がかみ合わないのも無理はない。それぞれの見ている「児童文学館」が違うのだから。


 自分としては、大多数の人がよく知らないままに閉鎖になってしまったことがとても寂しい。府民の選択として財政難だから仕方ないんだと言われれば返す言葉はないし、直接利用できる施設の方が望ましいという意見も分かる。けれども、少なくとも大阪府の人には自分たちがどういうものを失うのか、もっと正確に知る権利があっただろう。

 でももうあの施設に入ることはかなわない。もっと早く関心を持っておくんだった。と、公園を立ち去りながらしょんぼり思った。

*1:ただし子ども室の資料は複本だけれど。

*2:いったん傷んだ資料の補修って高いですよ