昔のメモを読み返す。

 前の記事に、思わぬ反響。id:yoshim32さんを始め好意的に見ていただいたようで嬉しいし、勉強になった。その分緊張もした。なにぶん小心者ですので。
 その割にはひと月近くも放置してた訳だが、理由は長い文章を書くのが面倒くさかっただけ。なにぶん怠け者ですので。


 で、過去の経験は本当に間違いなかったのか?と、くだんの集まりに参加した折のメモを見直してみた。メモによると、正確にはこんな感じのやりとりだったようだ。

報告者:指定管理者導入後の利用者へのアンケートでは「導入してから職員がよく声をかけてくれるし、話しかけやすくなった」という声がある。
質問者:よく声をかけてくれるというが、それは図書館として当然のことではないか。以前はどうだったのか。
報告者:以前は人数的に余裕がなかった。現在は有司書資格者が20名以上いる。

 メモでは極力趣旨だけ書いている。実際には質問者の口調は結構キツくて、レベルが低かった云々の言葉もあった。ゆえに「怖っ。なにもそんな事言わなくても…」という印象が尾を引いて前回の記事になった次第。


 しかしメモを読み返してみると、当時その場で自分が感じたモヤモヤはもうちょっと複雑なものだったことを思い出した。というのは、その質問をした人はきっと熱意も経験もあって、利用者のため頑張っているんだろうとも感じたからだ。
 もちろんこういう見方はきわめて性善説なので、実際は単なる攻撃的な人だったのかもしれない。でもそれなら困った人はどこにでもいるよね、と放置しておいてもあまり実害はない(その場は白けるけど)。
 むしろ実務において有為な人材が、有為なゆえに話し合い拒否してしまうということの方になんだかがっかりした。それではその人の熱意や経験はいつまで経っても指定管理者として働く人に伝わらないし、溝は埋まらない。もったいない。
 当時のモヤモヤ感を言語化すると、大体こんな感じになる。


 また当時は気づかなかったけれど、質問に対する報告者の答えも結構考えどころだ。
 どんなに優秀で親切な職員さんでも、物理的に余裕がなければ、利用者にとっては声をかけづらい。予算に限りがある中、指定管理者を導入することでサービス人員に余裕が生まれて、居心地のいい場所になる可能性はある。以前自動貸出機について考えたことともちょっと共通する。
 また司書資格の有無については、ちょうどこんな調査結果もある。いわゆる正職員じゃない場合の方が有資格者が多い場合もあるということで、質問に答えた人の発言を裏付けているように思える。
 結局そこの図書館を使う人にとって、人数的にも能力的にも、制度導入後の方が「良い図書館」だったということなんだろう。


 一方で、労働力がダンピングされる可能性とか、そうやって余裕ができれば予算カットされるのがこの世の常だよね。とか考えると、改めてウームとなってしまう。
 けれど、今時やりくりの話が憂鬱なのは当然のこと。図書館だけが苦しいわけでもなんでもなく、ふてくされても始まらない。やっぱり前向きに話をする方がいい。


 以上、昔のメモを読み返して思ったあれこれ。特に落ちはない。