Googleとの闘い―文化の多様性を守るために

ジャンヌネー前フランス国立図書館長による講演と対談 「インターネットと文化:チャンスか危機か」

興味あったけれど聞きに行けなくなった。残念。せめてもの慰めにこの本を読む。

Googleとの闘い―文化の多様性を守るために

Googleとの闘い―文化の多様性を守るために

 タイトルのとおりGoogle、特にGoogle Book Search反対論。反対の根拠はこんな感じ。

  • 市場化による危険

 文化にとって市場化は危険な場合がある。たとえばGoogleは検索結果に表示する広告のリンクを売るビジネスを行っている。広告を入れることにより、大企業中心・アメリカ中心・文化的大衆主義の進展という影響が現れる。
 戦後フランスで、アメリカ映画の流入に対抗して自国の映画産業を政府が保護する政策が行われた。同じように、文化の多様性を維持するためには、政府が意識的に介入する必要がある。

  • アメリカ・グローバリゼーションの危険性

 Googleの表示アルゴリズムにより、情報のランク付けが行われる。アメリカ英語で書かれた情報、すでに多くの人がアクセスしている情報が上位に現れ、重要と見なされる。それにより、英語以外の言語や少数派の意見が悪意なしに封殺される結果を招く。
 中国での政府による情報統制にも現れるように、Googleの表示方法に意図的な偏りが加えられる可能性は常にある。

  • 情報の長期的保存性

 2つのリスクがある。組織としてのGoogleのリスクと、アーカイブそのものの長期的保存に関するリスク。前者についてはこんな指摘がされていた。

最近、リーサ・バイソネットは、「もしグーグルが破産を宣言したなら、そこでデジタル化された遺産は誰のものになるのだろうか」という疑問を投げかけた。これは的確な疑問だ。たとえデジタル化されたファイルが関係の図書館に譲られたとしても、図書館側はグーグル以外のウェブでの利用権を必ずしももつわけではない。(p99)

 Google社が破産したり買収されるという可能性を、いつの間にか想像の埒外にしていた自分に愕然とする。思いっきり洗脳されてたよ。この他、本文では反トラスト法適用の可能性にも触れられている。
 アーカイブ自体の長期的保存については、他の場でも議論を聞いたことがある。デジタル化すれば長持ちするというものじゃない。媒体そのものの寿命はもちろん、再生ハードウェアの問題もある。規格が変わるだけで読めなくなる。短期的な利潤で行動するGoogleは、そういう長期的なことを考えているのか?てことだろう。

  • 体系化されない知識の氾濫

 体系化には二つの側面がある。
 一つは技術面での問題。テキスト・モードにするかイメージ・モードにするか。メタデータをどのように付与するか、といった体系化のための方法には色々検討すべき課題がある。拙速は命とりになる。
 もう一つは知識そのものの体系化。情報は整理し、階層化された形で提供されてこそ意味がある。しかもその階層化の方法は皆の承認を受けられるような基準であるべき。現在のGoogle Book Searchの体系化は不十分だし、階層化の基準(ページランク)も明らかにされていない。


 全体として、文化の市場化や大衆化をきっぱり拒否する一方で、資金調達を常に意識している姿勢が印象的だった。デジタル化は公的資金を導入して継続的に取り組むべきと主張しながらも、民間からの支援受け入れにも積極的。各国の図書館はもちろん、公文書館、出版社など、あらゆる関係者に協力を呼びかける。高尚なことをやるにもカネがなく、仲間がいなくては動けない、ということを重々承知されている。

こうした考えを進めるには明らかに、多くのお金がかかる。しかし無料のランチはない。覚えておいてほしい。市民とは常に支払いをする者を指しているということを。−納税者としてでなければ、消費者として。(p86)

 鋭い指摘だ。そう、サービスを利用するには必ずお金を払う。今財布から取り出すのか、払った税金から持って行かれるのか、将来どこかで払う羽目になるのか、といった違いはあっても。


 で。そのフランス国立図書館が、最近Googleとの連携を進めているという。この本の書かれた2006年以降、どんな変化があったのか。何ゆえの方向転換か、本人の口から聞けるかも知れない。講演がますます楽しみになる。
…行けないけどね。