「溜め」を実感する。

 先日、風邪にやられて寝込んだ*1
 寝込むと、生活のあちこちにほころびが出る。温かくて栄養のあるものが食べたいのに料理する体力がない。仕方なく加工品を買うと割高につく。熱が出れば買い物に行けないから物資も不足する。滝のように鼻水が出るのに、ティッシュを切らした時には泣くかと思った。

 そういう思いをした後に新型インフルエンザのニュースが出てきたので、こりゃ他人事じゃないなぁ。と、寝込んだ場合のシナリオを考えた。
 とりあえずすぐ食べられる食料と現金を備える。ウィルスを撒かないためにも、仕事は休まなくてはいけない。インフルエンザならまず自治体の窓口だし、そうでなければ早めに医者にかかる。熱が出て動けなくなったら、友達か身内に頼んで来てもらう。簡単に人を頼っちゃいかんけれども、生きるか死ぬかの場合になれば、あの人とあの人は仕事を休んででも来てくれるだろう。

 で、ふと気付いた。自分が非常事態に頼れるこれらのものが、まさに「反貧困」で出てきた「溜め」なんだ。

 お金が無ければ栄養のあるものを買うこともできないし、医者にもかかれない。保険がなければ診察代も高い。一日休めばクビにされる職場だったら休むこともできない。寝込んでも友達や身内に頼れる人がいなければ、世話してもらえない。
 そういう「溜め」のない状態でインフルエンザにかかったら、適切な治療もできずに病気を悪化させることになる。結果としてウィルスを広めるので、社会全体にとってもマイナスになる。そうか、個人の「溜め」が社会全体にとって大事なのはこういうことか。

 屑籠に溜まった大量のティッシュを処分しつつ、社会について考えたひととき。

*1:時期的にも、症状的にも新型インフルエンザではありません。念のため。